2003.9.18 7日目 ザルツブルグ観光 

本日は1日ザルツブルグ観光の予定、なかなか起き出せずにうだうたしていたら、ホテルを出発したのは10時過ぎになってしまっていた。
ホテルのあるミラベル広場から旧市街までは大した距離ではないのでのんびり歩いて向かうことにするが、まずは途中の広場にあるモーツァアルトの住居に寄っていくことにしよう。
住居自体は戦災で焼け落ちており、今建っているのはここ10年くらいに再建された建物だ。
そのため外観があまりにも綺麗すぎるため、いまいち実感が湧いてこないな。
内部は楽器や、モーツァルトゆかりの品が展示されているが、余り興味を引くような物は展示されていないので、さらっ名加持して次の目的地に行くことにしよう。
 
ザルツァッハ川を渡って旧市街に入り、モーツァルト像があるモーツァルト広場に最初に向かう。
広場の中心にはモーツァルト像があるのだか、お祭りが有るのか移動遊園地の設営準備中のようで、像の周りにはやぐらが組まれておりちょっと雑然としている。
 モーツァルト像にはツアー客がぞくぞくと集まり、周りはちょっとした人垣になっているようなので、まだ動き始めたばかりだが人が引くまで休憩のため軽くお茶をしていくことにしよう。

 カフェで5分ほどウダウタしていたら像の周りの人が少なくなったようなので、写真を撮りカフェを後にする。

 モーツァルト広場の後はドームの裏側を通り、ホーエンザルツブルグ城へのケーブルカー乗り場に向かうが、途中のザンクト・ペーター教会の墓地が良い雰囲気なので、ちょっと寄り道していくことにしよう。
 墓地の中は花が飾られ、綺麗に整備されている。
 墓地内では修学旅行生の団体に「ニーハオ」と声を掛けられた。
 中国人に見られてちょっとからかわれたようだ。
 まあガキどもにからかわれたくらいで腹をたててもしょうがないので、適当にあしらって墓地内の散策を続行しよう。
 ケーブルカー乗り場では結構人が待っているのではと思ったが、ほとんど待っている人がおらず、ちょっと拍子抜けだ。
 帰りも歩いて降りるのはかったるそうということで、横着して往復チケットを購入。
 ケーブルカー自体は1分程度の乗車時間のため、あっという間にホーエンザルツブルグ城に到着。
 外に出るとザルツブルグの街が一望できてなかなかの眺めだが、結構建設用のクレーンが林立しているのがちょっと目障りだな。

 とりあえず見晴らしのよい、城壁のあたりでしばし風景に見とれていた後は、内部の見学に移ることにしよう。
 ホーエンザルツブルグ城の見学はツアー制になっているようで、入口で10分ほど待たされたあと説明用のレシーバーを渡されて内部の見学に移る。
 内部は撮影禁止のため、しっかり目に焼き付けるしかないようだ。
 最初は城がどのように大きくなっていったかの歴史的背景を模型を使って説明を受ける。
 この城は過去に何度も攻められているが、一度も落城したことこと無いとこのときの説明で初めて知った。
 ヨーロッパの中世の歴史はほとんど判っていない状態だか、中世の攻城戦は余り戦わずに名誉の撤退で明け渡すケースが多かったように思われるので、城の城主である大司教はかなり城の防御に自信を持っていたのだと伺うことができる。
 もっとも、その防御力を強固にするために大改修を繰り返して、当初は小さかった城がかなりの大きさになったようだ。
 内部の柱には、昔の大砲の砲弾が直撃した跡があったり、なかなか激しい攻防戦が繰り広げられたのも想像に難くない。

 城の見学が終わると出口には武器博物館が併設されているので一応覗いていくことにするが、この博物館は中世から第二次大戦の武器が展示されているので食い入るように見入ってしまう。
 もっとも私が真剣に見てたのは大戦地のコーナーに集約されるのはいつものことだ。
 オーストリア自体は大戦中はドイツに併合されていたため、武器類はドイツ軍仕様となる。
 私が気になったアイテムとしては、右の写真のパンツァーファウスト(上)とパンツァーシュレック(下)の2点の対戦車ロケットだ。
 パンツァーシュレックはイギリスの戦車博物館で見たこと有ったが、使い捨てタイプのパンツァーファウストの実物は今回初めて見ることができた。
 大戦中はこれを持った国防軍やSSがソ連のT-34に向かっていったのかなどと、相変わらず素人お断りの想像を巡らすのだった。
博物館を後にすると、しばらくは城壁の内部を散策するが、他には余り見所が無いようなので、そろそろ次の場所に移動することにしよう。
 ただねケーブルカー乗り場がよく分からなくなっており、適当に歩いていたら城の正門に出てしまったし、急な上り坂を登ってケーブルカー乗り場を探すのも面倒なのでそのまま徒歩で下まで降りることにしよう。
 
 下まで降りると、麓のケーブルカー乗り場の脇にでた。
 先ほどは大してして乗客が居なかったが、今は大混雑となっており建物の外まで行列が並んでいた。
 時間の方は昼過ぎになり、お腹の方も減ってきたので、モーツァルトの生家の向かいにあるレストランで昼食にしよう。
 ただメニューはドイツ語の物しかないようで、いまいちどんな料理か理解できず、無難にヴィーナー・シェニッツェルにしておくことにしよう。

 食後は目の前にあるモーツァルトの生家の見学だ。
 ここも内部は撮影禁止のため目に焼き付けるだけだが、楽譜や書籍と言った感じの資料が多く、余り印象には残らなかったな。
 
 
 モーツッアルトの生家の後は宮殿であるレジデンツの見学に向かう。
 入口の階段ではフレスコ画の修復作業をしており、ちょっと雑然としているが、どうやってやるのかちょっと見学してから受付に向かう。
 受付で荷物を預け、レシーバーを受け取ってから内部に入るとここはフラッシュを焚かなければ撮影はOKの様だが、結構暗いためブレてしまい良い写真は撮れていなかった。
 ただ内部は皇帝の住居であっただけあり、装飾類はかなり豪華だ。
 レジデンツの後は、ドーム(大聖堂)の内部の見学だ。
 ここの大聖堂の内部の装飾はかなり凝っており、恐ろしく手間が掛かっていそうだ。
 ただ教会は有れば見学してはいるがちょっと飽きてきたかな。
 地域ごとにいろいろ特色が有るのだろうが、土木構造物が専門の私も建築には余り興味が無いので、違いがよく分からない。
 大聖堂の正面にはマリア像があり、ガイドブックによると後ろの大聖堂の天使のレリーフがマリア像に冠を載せているように見える地点があるので、しっかり記録させてもらうことにしよう。

 大聖堂の後はふらふらと大学広場の方に歩いていくと、どこからかハープの音色が聞こえてくる。
 広場の片隅には大きなハープを奏でる女性がいるようだ。
 バイオリンなどの大道芸人はよく見かけるが正直こんな大きなハープを路上で演奏しているのは始めてみた。
 どうやって持ってきているのかはちょっと興味があるところ。
 もっとも彼女は大同芸人ではなく、ハープ奏者で自分CDなども売っていた。
 流石にCDは購入しなかったが、しばらく聞かせてもらったので備え付けの箱に演奏料を払って次の目的地に向かうことにしよう。
 結構歩き回ってちょっと足が痛くなってきたので、昼食を取ったレストランのテラスで、ちょっと休憩していくことにしよう。
 疲れたときは甘い物が欲しくなるので、カプチーノにザッハトルテでおやつにさせてもらう。

 休憩後は適当に旧市街の散策を続け、一度通ったところを再度廻ってみることにしよう。
適当に散策した後は、明日のケールシュタイハウスツアーの申し込みのため、ホテルのあるミラベル広場のパノラマツアーのデスクに寄ってからホテルに戻ることにするか。

旧市街を抜けて、ザルツァッハ川の手前でひげ剃りを無くしていることを思い出し、近所のスーパーで使い捨てのひげ剃りを購入していくる
 ザルツァッハ川に掛かる橋の上ではちょっと怪しげな団体がビラ配りをしているようだが余り関わり合いたく無いので、さっさと通り過ぎることにしよう。
 周りの人もほとんど相手にしてないようだし、胡散臭い団体の可能性が高い様だ。

 旧市街から歩いて10分ほどでミラベル広場に到着、広場の北の外れに有るパノラマツアーで明日のケールシュタインハウスというヒトラーの山荘に向かうツアーを申し込む。
 本当ならツアーなどに申し込まずに自力で行きたい所なのだが、ドイツ編のガイドブックにあんまり詳しく行き方が書いていないようなので、安全策を取ってツアーにさせてもらう。
 ツアーの申し込みはあっさり終了し、翌日の9時までにツアーデスクに集合することを確認してからミラベル宮殿の庭園に向かうことにする。
 宮殿内部の見学の入り口がよく分からなかったので内部の見学はあっさりパスし、しばらく庭園内部を散策させてもらうことにしよう。
 庭園外れのほうに、ちょっど良いベンチがあったので、まだホテルに戻るには少し早いことから、しばらくベンチでボーとして過ごす。
 忙しくあちこちを見て回るのが私の基本スタイルなのかもしれないが、たまにはこういった無駄に時間を過ごすのも悪くないや。

 適当に時間を過ごした後はそろそろホテルに戻るため、庭園内を抜けてホテルの方向に向かうが、途中の噴水のそばでは韓国からの団体さんがやたらでかい声で話していて、ちょっと興ざめだ。
 何でそこまででかい声で話す必要が有るのかというくらい声がでかい。
 同類に見られるといやなので、そばに近寄らないようにして庭園をぬけ、道路の反対側のホテルに戻ることにしよう。
 
 明日はインスブルックに移動するので、荷物の整理をしておかないといけないな。
 結局この日は夕食を食べたく無かったので、そのままホテルに引きこもることとなり、ホテルの窓から日の傾いてきたミラベル広場をボーと眺めて過ごすのだった。