2013年 7月9日 4日目 ビィエンチャン観光

急行69列車
 本日は昨夜から急行69列車でノーンカイに向けて移動している寝台列車の中で目覚めた。
 時刻は7時前ということで、まだ車内では眠っている人が多いようだ。
 昨夜は熟睡したようで途中では全く目が覚めなかった。
 現在位置を確認すべくスマートフォンの地図で現在位置を確認すると、コーンケーンとウドーンターニーのちょうど中間地点付近のようだ。
 現時刻とノーンカイまでの残りの距離を考えると1時間程度遅れているようだ。

 とりあえず起きだして、朝食を取りに食堂車まで移動する。
 本日の朝食はチーズハムサンドにコーヒーで、本来なら食後に一服といきたいところだが、朝の時間帯は唯一喫煙可能な食堂車も禁煙となっているため、ノーンカイ到着までは我慢しなければならないようだ。
 食事を終えて席に戻ろうとすると、ちょうど列車交換のために駅の側線に入っていく。
 対向列車を撮影すべく、しばらくやってくる列車をデッキで待ちかまえていると、やってきたのは気動車では最古参のグループとなる日本製のRH型気動車で1967年の日立製であった。
 このタイプの気動車はバンコク近郊では全く見かけなかったが、古い気動車はこちらの地方に集められて使用されているようだ。
 もっとも国境を越える区間の列車に使用されているのはリサーチ済みだったので、この後に同じタイプの車輌には乗れるだろう。

 席に戻ると寝台は座席に直してあり、昨日のカップルの東洋人女性の話し声に相変わらずイライラしなければならないかと思っていたが、しばらくして到着したウドーンターニー駅で二人が降りてくれたので、それ以降はのんびりと車窓を眺めて終点のノーンカイを目指す。

 ノーンカイの駅に到着したのは9時40分頃で、定刻の8時25分から1時間20分遅れでの到着となったが、この程度は予想の範囲内だ。
 接続する国際列車の定刻は9時10分なので発車時刻が過ぎているが、接続を取ることは知っていたので、あんまりあわてる必要ない。
 もっともいつまでも待ってはくれないだろうから、さっさとホーム端にある出国審査場に向かい、一度タイを出国する。

ノーンカイ駅の国際列車ホーム

国際列車の車内
国際列車913列車

 ラオスまで国境を越えるため、1駅だけ運行されている国際列車は1日に朝と夕方の2往復しており、それぞれ夜行急行に接続するダイヤのようだ。
 出国審査もスムースに済まして列車に向かうが、保税区域がしっかりしているわけではなく、国際列車のホームは普通に外部からアクセス出来るため、ホームを往来する人が普通に歩いており、ずいぶんと緩い国境のようだ。
 先に出国審査を済ましてしまったので、列車の乗務員に切符はどうするのかを聞くと車内で買えるので問題ないとのこと。
 それよりもスタンプはちゃんと押したかと念を押された。
 やっぱりホームに簡単にアクセスできるため、審査を受けずに乗ってしまう旅行者がそれなりにいるのかもしれない。
 列車の方は事前のリサーチ通り、日立製のRHN型で途中ですれ違ったRH型よりは新しい1971年製である。
 もっとも、このタイプの気動車の形式は製作メーカーが異なるために呼び分けられているだけで、最初期のものを除けば基本性能は同一である。

 列車の方は、10時過ぎにノーンカイの駅を出発し、ラオス国境駅のタナーレンを目指す。

国境の友好橋、線路は併用軌道

タイ・ラオス国境部のメコン河

ラオスに入国

ラオイ側国境駅 タナーレン
 タイとラオスの国境にはメコン河が流れており、列車は国境の友好橋を渡ってラオス側に向かっていく。
 橋自体は併用軌道となっており、列車が通過する際は自動車を遮断して列車を運行するスタイルを取っている。
 車内では検札に来た車掌さんに運賃を精算すると料金は20バーツであった。
 乗車時間は10分で、無事ターナーレンに到着。 
 駅構内に掲げられている共産党の旗を見て改めて初の共産圏に入国となるのでちょっとだけ不安になるものの、入国の係官は至って普通だし、ノーンカイに負けず劣らず保税エリアの出入りはザルのようで、ピリピリした空気は感じられない。
 入国の書類を書くのに多少手間取りながらも、入国審査事態はあっけなく終了。
 列車から下車したのは20人程で、半分は欧米人だが、特に審査で問題となるような人はいなかったようだ。
 
 審査を済ませて駅前に出ると、タクシーが待機しており、ビィエンチャンまでの料金を確認すると、1台400バーツとのことで、こちらについても事前情報通りで、そのままヒュンダイ製の1BOXに乗り込み、ビィエンチャンまで送ってもらう。
 車内でのドライバーの説明では、料金はビィエンチャンのバスターミナルまでで、ホテルに行くとき別途40バーツが必要とのことだったが、ホテルの位置がはっきりとはしていなかったので、ホテル名を告げてそこまで連れて行ってもらうことにしよう。
 タナーレン駅からビィエンチャンまでは20km程度の距離があり、タクシーで国道を30分ほど走ることになるが、最近のラオスは景気が良いのか、街道沿いで比較的大きな屋敷の新築工事があちこちで見られた。
 ただ走っている車については、韓国車が多いのでタイほどまだ発展はしてないようだ。

 タクシーで連れて行ってもらったガーデンホテルは市街の西側のちょっとわかりにくいところに有り、自力では探すのが難しかったかもしれない。
 無事送り届けてもらい、約束の料金にチップ込みで500バーツをドライバーに支払う。
 ホテルの方は14時からのチェックインとなっているが部屋の方は空いているようなので、11時頃にチェックインさせてもらう。
 しかしラオスの人は結構日本人にそっくりな人が多く、フロントマンは私の従兄弟にあまりにそっくりで、思わず日本語に話しかけそうになってしまう。
 部屋に通されると、非常に広いのだが、残念なことに小さい窓が1つだけで、そこから真眺めも全く望めないのが減点だ。

 部屋に荷物を起き、町歩き用に装備を切り替えると本日しかビェンチャンは観光できないので、早速観光にでることにしよう。
 とりあえずはチェックイン時に地図をもらったので、それを頼り街の南側に流れるメコン河まで行ってみる。
 相変わらず気温は30度程度で、日本ほどの猛暑ではないが、湿度が高く汗を吹き出しながら歩くことになる。
 途中にはATMが有ったことからラオスキップを入手すべくキャッシングしていくが、こちらの物価レベルがよく分からないので、とりあえず50万キップ(日本円で4000円程度)を確保する。

 南に向かって歩くと意外とメコン河まではたいした距離ではなく、河原に出ることが出来た。
 メコンの印象は河川敷の幅あるが、雨期のはずなのに意外と水量が少ないような印象を受ける。
 とりあえず川沿いに東に向かい、待ちの中心部の南側に向かうつもりで、メコン川沿いをしばらく散策する。
 川沿いには10mおきにゴミ箱が設置されており、タイに比べると格段にゴミが少なく、綺麗になっているのは意外だった。

 10分ほど川沿いを歩いていると、大きな銅像がある公園に出たので、一端公園内を横切り、1本北側の道路をさら東に進んで見ることにしよう。
 さらに10分ほど歩いていると、どうも地図と現在位置が合わないので、スマートフォンで位置を確認するとちょっと東に来すぎてしまったようだ。
 どうやら自分の想像していたものより、ビェンチャンの街は小さいようで、以外と徒歩だけで回れてしまうようだ。
 とりあえず目については寺院などを覗ききながら、目的地である慰霊碑のパトゥーサイがある北西方面に進路を取り直す。

 幹線道路を歩いていると、何となく日本のバスに似ている車輌が行き来している。
 車体には日章旗が掲げられていることから、日本の援助で導入されたもののようだ。
 進路を修正しつつ、パトゥーサイが有る大通りに出ると、ちょうどラオス一番のショッピングセンター、タラートサオの前だったので、冷房が効いていそうと言うこともあり、寄り道していくことにした。
 
 

 タラートサオの内部は1階は携帯電話売り場が多く、2階は衣料品、3階金製品売り場が軒を並べており、何となく品揃えが偏っているような印象を受ける。
 3階の一角はフードコートになっており、ちょうどお昼時ということもあり、ここで食事にさせてもらおう。
 システムについてはバンコクと同様にクーポンを購入するようだが、料理の値段が分からないので、とりあえず一端内部回ってみて、おおよその価格から3万キップも有れば、十分そうだとの結論に達した。
 さてクーポンを買おうとしても言葉に自信がないので、必要な金額をスマートフォンに表示させて、10万キップ札を出したところ無事3万キップ分のクーポンを入手できた。
 後は、目当てのコーナーに行き、豚の角煮らしきご飯を注文する。
 味の方は角煮に似ているが、香草が入っているらしく、想像していた味とは微妙に異なるがまあ許容範囲でしょう。
 ただ思いの外しつこかったので、暑さと合わせて胃がもたれそうだ。
 食事をしながらフードコートについてガイドブックを見ていると、フォークやスプーン置き場の横にある熱湯は消毒用で、地元の人も消毒してから使用しているとの記述が目に留まる。
 もっともこの時点で、あらかた食べ終わっていたので今更遅いのだが、地元の人でも当たるかもしれない状態で食事をしてしまったことで動揺してしまう。

 食事も終わり、冷房の効いた店内で十分クールダウン出来たことから、パトゥーサイに向かい移動を開始する。
 相変わらず道路沿いにはゴミ箱が短い間隔で置かれているので、道路上にほとんどゴミは落ちていない。
 道は結構デコボコだが、大通りに関してはそんなに不衛生な印象を受けない。
 大通りを歩くこと約15分で目的地パトゥーサイに到着、周辺は公園になっており、記念撮影を請け負うカメラマンの数が非常に多い。
 ラオスでは地方から出てきた人は、ここで記念写真を撮ってもらうのが一般的なようで、結構写真を撮っている人がいるので、それなりに商売になっているようだ。
 パトゥーサイは上に上がれるのだが、あまり遅くなると黄金の寺院タートルアンの見学時間が終わってしまうとの危惧があったため、先にタートルアンを見学してから、また戻って来ることにしよう。
 パトゥーサイからタートルアンまではこれまで歩いた距離を考えるとたいしたことがないように思えたが、もらった地図がそのあたりをデフォルメしていたらしく、実際に歩いてみると思った以上に距離があり、30分以上歩いてタートルアンの敷地にはいる。
 やっと着いたと思ったが、敷地が意外に広くタートルアンまではやたらと広い広場を突っ切ってようやく到着する。
 タートルアンの入場料は4000キップで、日本円で50円くらいだろうか。
 支払いをするにも慣れない通貨の上、桁が大きいので間違わないように1枚1枚確認しないとおかしなことになりそうだ。
 こちらではお金を扱うときは、1/1000の金額を言ってくるので、お札をもってしばらく考え込んでしまうこともしばしばあった。

 タートルアンの見学も外周を回れる程度のようなので、見学にはそれほど時間も掛からず適当に1周して早々に立ち去ることになる。
 さて一度パトゥーサイに戻ることにするが、そろそろ歩くことがだるくなってきた上、暑さで大分バテ気味である。
 とりあえず屋台が並んでそうなほうに行ってみると、軽自動車を改造したトゥクトゥクに声を掛けられる。
 渡りに船と交渉してみると、30000キップとのことなので、若干高いかなと思いつつも、歩きたくないのでパトゥーサイまで、送ってもらう。
 
 再度パトゥーサイに戻ると早速塔の上に上がってみるが、内部はきちんと内装工事がされている様子ではなく、基本的にコンクリートの打ちっ放しの様な状態だ。
 途中の階は基本的に土産物屋が並んでいるだけで、特に見るべき点はない。
 屋上に上がると、周辺には高い建物がないため、結構見晴らしがきくが、個人的には首都の景色にしてはちょっと寂しい印象を受けるのが否めない。

 この時点で時間は15時30分頃になっていたので、ラオス土産を探しにショッピングセンター、タラートサオまで戻ることにしよう。
 先ほど入っていたのは、旧館だったようで、パトゥーサイ側に新しい新館が有ったことから、今度はそちらを除いてみる。
 こちらには地下があり、地下ではバッグ、靴類の店が軒を並べている。
 1階は服飾関係と喫茶店関係があり、2階は貴金属専門店街の構成だ。
 ガイドブックでは銀製のアクセサリーが有名とのことだったが、店先に並んでいるのは、ゴツイデザインのブレスレットなどが多く、妻用のお土産にはちょっと趣味が合わなさそうだ、
 銀製品はあきらめて、1階を除いていたら、ヒスイなどのアクセサリーを売っている店を見つける。
 サイズ、デザインなども玉石混合と言った感じだが、目についたヒスイのペンダントを購入することにする。
 値段の方はキップはあまり持ってないので、USドルでいいか聞いたところ24ドルとのこと、目利きではないので物がいいか悪いかは分からないが、手頃な値段といった感じなので、購入させてもらう。
 その後は自分用のポロシャツを購入し、歩き回って大分疲れたので喫茶店で休憩がてらラオコーヒーを試してみるが、アイスコーヒーにしたため、味の違いについてはよく分からなかった。
 周辺の店もそろそろ店じまいを始めているので、ホテルに戻ることにするが、外に出てみるとすさまじいスコールとなっている。
 これはトゥクトゥクを捕まえられる状況ではないことから、しばらく店内をうろついて雨がやむまで、時間をつぶすことにしよう。

 先ほどの喫茶店に再度戻り、30分ほど休憩したら雨が上がったようだ。
 外で待機しているトゥクトゥクと交渉して、45000キップでホテルまで送ってもらう。
 ドライバーの方は、夜の女性はどうかと聞いてくるが、結婚指輪を見せて断ると、それで引き下がるので、タイの用に執拗に食い下がるほどではないようだ。

 ホテルには17時過ぎに戻り、しばらく休憩していたが、歩き回ったせいか足腰が重い。
 とりあえず大通りまででてみると、ラオ式マッサージがあるため、普段はマッサージなどしないのだが、ここでほぐしておくことにしよう。
 当初は1時間でお願いしていたが、担当したマッサージ師のプレツシャーに負けて結局2時間やってもらうことにする。
 初めてのラオ式マッサージだが、強い力でグイグイやられると結構痛くて歯を食いしばって耐えることとなる。
 しかしながら、背中の凝っている部分をゴリゴリとやられたときは、あまりの激痛に思わず、タップして「ギブギブ!!」と言ってしまう。
 その後はキャメルクラッチの様な体勢にさせられるし、ラオ式マッサージは共産圏の拷問の一種なのかと勘ぐるほどで、終わった時点ではボロ雑巾の様になって真っ白に燃え尽きていた。
 もっとも店を出るときには体が軽くなっていたので、効果は十分だったのだろう。
 ただ、再度受けるかと言ったら個人的には悩みそうだ。
 
 明日は午前中の列車で再度タイに戻るのが、早起きというほどではないので余裕を持って出発出来そうだ。

本日の移動経路