2015年 9月17日 シベリア鉄道乗車4日目


移動区間 ベース図面出典 Wikitrave

ИРКУТСК(イルクーツク) モスクワ起点 5153km(営業キロ)


 ИРКУТСК(イルクーツク)への到着は1:24(現地時間6:24)とかなり早いので、到着前に目覚ましで起き出すが、周りはまだ大分暗い。
 身支度を調えて到着を待っているとИРКУТСК(イルクーツク)には定刻で到着、早速下車するがイーゴリ氏は起きだしてはいるもののまだ眠そうで車内で待っているととのこと。
 外に出るとかなり寒く、手袋が欲しいくらいだ。
 構内の温度表示では2度となっており、道理で寒いわけだ。
 駅前に出るために地下道で駅舎に向かうが、地下から上がる階段上にはタクシーの客引きがズラリと整列しており、ちょっと怖いくらい。
 乗るわけ無いので断って駅舎内に上がるが、外に出ると戻る時に荷物検査が必要となりそうだ。
 いろいろと面倒くさそうなので、外には出ずに行き先案内板のみ写真に写してホームに戻る。
 
 ホームに戻って機関車の辺りを見ていたら構内踏切から直接外に出られるようだ。
 そちらのルートで外に出ると、シベリアのパリと言われている割に駅前はちょっと小高い丘のようになっており、あんまり建物とかがない。
 駅前をトラムが走ってくるので、駅舎と併せて撮影したら構内に戻る。

 この辺りでやっと日の出のようで、東の空に朝焼けが出ている。
 構内の客車からは石炭ボイラーの煙が立ち上り、石炭を燃やす臭いが漂っている。
 ただ石炭ボイラーを使用しているのは旧型の車輌らしくこちらが乗車するロシア号では荷物車や食堂車の旧型車からしか煙は上がっていないようなので、新型車両は電気暖房を使用しているみたいだ。

 ホームが部屋のある側だったので、昨日の雨で汚れた窓をやっと拭くが、ドアのところで寒そうに立っていた夜間担当の車掌さんにちょっと笑われてしまう。
 こちらでは余り車窓を楽しむという考えがないのだろうか?
 自分以外には窓を拭いている人を見たことはない。
 
 構内をウロウロしていたらここから乗車する日本のツアー客が乗り込んでくるが大半は2等の5号車(最後尾)のようだ。
 ただ何人かは1等の7号車にも乗車していた。
 部屋に戻るとイーゴリ氏はまた眠ってしまっていたようなので、静かに発車を待つ。
 
 ИРКУТСК(イルクーツク)の出発は定時の1:47(現地時刻6:47)。

ИРКУТСК(イルクーツク)駅ホームの案内板

ИРКУТСК(イルクーツク)駅ホーム

ИРКУТСК(イルクーツク)駅外気温

ИРКУТСК(イルクーツク)駅舎内発着案内表示器

ИРКУТСК(イルクーツク)駅のロシア号

ИРКУТСК(イルクーツク)駅前

ロシア号と朝焼け

石炭ボイラーの煙

朝食

イーゴリ氏

АНГАРСК(アンガリスク)駅

 ИРКУТСК(イルクーツク)の辺りは複々線になっているようで、近郊電車のエレクトリーチカが結構走っている。
 
 この辺りは結構停車駅が続いており、比較的短い間隔でИРКУТ СОРТ(イルクーツク ソルト)、АНГАРСК(アンガリスク)と短時間停車を行う。

 適当なところでイーゴリ氏も起きだし、いろいろと説明してくれて途中の廃工場などはペレストロイカの時に潰れたようで、ペレストロイカはロシア人にとっては津波の様な衝撃だったとのこと。
 またこの辺りのタンク車は中国向けの石油であることを教えてもらった。
 
 お互い朝食の準備ということで、それぞれ食材を用意する。
 イーゴリ氏はバッグから巨大なタッパーを取り出すと、自宅で栽培したというトマトとキュウリが詰まっている。
 トマトとキュウリ、小振りな洋なしをいただいたが、こちらの黒パンを見ると、そんなパンじゃだめだというような事を言っている。
 自分のパンを見せて香りが違うだろうとアピールするのでかがせてもらうが正直違いが分からない。
 とりあえずパンは自分のものを食べつつ、ジャムなどは私の物を使ってもらいながら朝食を食べる。
 ジャムの方は日本の物かと期待されたが、ウラジオストクで買った事を告げるとちょっと残念そうだった。

 食後は車窓を見たり、適当にイーゴリ氏と会話して過ごす。
 たまたまイーゴリ氏から日本での私の収入について聞かれたので、こちらもついでに訪ねるとロシア人の平均の3倍くらいはもらっているようだ。
 乗っている車はトヨタのランクルとロシアでは結構裕福な方みたいだ。
 イーゴリ氏のパソコンでトルコとベトナムにバカンスに行ったときとの写真などを見せてもらいつつ、こちらは趣味の鉄道模型の写真を見せたりして過ごす。
 
 ロシアでは定年は55歳とのことなので、もうすぐリアイアするようだが、その後も結構な年金をもらえるようだ。(ロシアの平均月収程度)
 私の定年までの期間とか勤務時間の話をしていると日本の職場があまりにもブラックに感じて来てちょっとショックを受けてたら、イーゴリ氏よりロシアに来れば良いと言われたがさすがにそれは無い。

 4:48(現地時刻9:48)に5000kmキロポストを通過。
 所要日数的、距離的にもほぼ中間地点となってきている。
 しばらく対向列車が無かったようなと思っていたら、大規模な軌道工事中だった。
 とにかくあちこちで保線工事をしているなととの印象だったが、よく考えてみれば真冬には工事出来ないだろうし、日本よりも相当早く冬が訪れることから、夏の間にとにかく保線等の大規模工事を終わらせる必要があり、この時期は工事が集中するのかもしれない。
 
 
ЗИМА(ジマ) モスクワ起点 4902km (営業キロ程)

 次の長時間停車はЗИМА(ジマ)で5:59(現地時刻10:59)に到着。
 ここはちょっと長めの停車時間なので、機関車の方で動きがありそう。
 駅は運転上の拠点駅という感じ構内は広いが駅前には大した物は無さそう。
 唯一駅前に過去にこの辺りで走っていた青い電気機関車の保存機が置かれている程度だ。
 この辺りは当初直流で電化されているものの、後に交流に変更されている関係で、路線は交流になっているが保存機は直流機だ。
 デッキ付きなので色が青い事を除けば日本の古い電気機関車に通じるところがある。

 機関車の方ははやり交換するようで、ЭП1(EP1)なのは変わらないが、135号機から56号機にバトンタッチされる。
 ЧИТА(チタ)で後部に連結されていた中国人団体用の増結車両はこの駅で見たときには連結されていなかった。 
 ここでは最初から付いていなかったようなので、ИРКУТСК(イルクーツク)で切り離してきたようだ。

 定時にЗИМА(ジマ)を出発するとイーゴリ氏が室内のテレビを見始めたが、TV放送ではなく、ビデオサービスのようで、余り好みの物はなかったようだ。
 適当なところで消したと思ったら車掌室に行ったらしくDVDを借りてきて、自分のパソコンでDVDを見始めた。

 列車の方は速度を上げて110km/h程度で快走するが、100km/hを超えるあたりから車体がヨーイングを始めるらしく、横方向に結構揺すぶられる。
 線路の方もロングレールだと快適なのだが、時たま現れる定尺レール区間だと、ジョイン部分で結構な衝撃を拾うが、これはコイルバネ台車のため仕方なさそう。
 
 ただ高速で定尺レールのカーブに差し掛かると、ジョイントでの衝撃がかなり大きく大丈夫かと不安になってくる。

駅間の風景

5000kmキロポスト

ЗИМА(ジマ)駅駅舎

交換後の機関車

ЗИМА(ジマ)駅前の直流電気機関車保存機

昼食のロシア製カップ麺(サラミは別途トッピング)

 現地時刻で昼くらいになったころ、イーゴリ氏は食堂車に行くとのことなので、その間にこちらも昼食とさせてもらう。
 ロシア製のカップ麺にサラミソーセージを加えて簡単に済ます。

 イーゴリ氏も昼食後はDVDの続きを見て時々笑っている。
 沿線は草原や湿原といった感じで比較的平坦な区間となりつつあるようだ。
 短時間停車のТУЛУН(トゥルン)を過ぎるとまた山がちな地形となり、紅葉が進んでいく。

 イーゴリ氏は電話魔のようでDVDを見終わるとかなりの頻度で電話掛けている。
 電話の雰囲気からは仕事関係では無さそうだ。
 

駅間の平原

駅間の湿原

ТУЛУН(トゥルン)駅舎

山岳区間の紅葉

移動病院列車

НИЖНЕУДИНС(ニジニウディンスク)
 モスクワ起点 4647km(営業キロ)


 НИЖНЕУДИНС(ニジニウディンスク)には10分早着の9:50(現地時刻14:50)に到着。
 駅直前には車内誌で紹介されていた移動病院列車が停車している。
 表示されている気温は9度だが、風が強く体感温度はかなり寒く感じる。
 車掌さんも寒くて外にはいられないようで、すぐに車内に引っ込んでしまった。
 駅前広場にSLの保存機があるが、余り大きな街では無さそう。
 東側に機関区があり、青い電気機関車が保存されていることから運転上の拠点のようだ。

 定刻の10分前に出発信号が点灯したので寒いこともあり早めに車内に戻る。
 出発は1分早発だったが、この駅からの出発はこれまでに無い良い加速をしている。
 出発してすぐ土産物らしき物売りがやってくるが見る気もないのでさっさと断る。
 駅を外れてすぐに上り坂になったようでこのために勢いを付けるための加速だったのかもしれない。
 それでも上り坂で80km/hを超えてまだ加速中なのは編成が短いためかな。
 その内坂が急になってきているようなと思っていたら、速度が落ちて70km/h程度に落ち着く。

НИЖНЕУДИНС(ニジニウディンスク)駅舎

НИЖНЕУДИНС(ニジニウディンスク)機関区の保存機

НИЖНЕУДИНС(ニジニウディンスク)駅前の保存SL

НИЖНЕУДИНС(ニジニウディンスク)駅構内

ТАЙШЕТ(タイシェット)駅手前のバム鉄道分岐点

 次は短時間停車のТАЙШЕТ(タイシェット)で到着は約2時間後。
 ТАЙШЕТ(タイシェット)はバム鉄道(第2シベリア鉄道)の分岐駅なので、路線の分岐点は写真に撮っておきたいところだ。

 ТАЙШЕТ(タイシェット)の手前の辺りがどうやらイーゴリ氏の生まれ故郷のようで、18歳までこの辺りで過ごし現在も両親が住んでいることを教えてもらうが、今回の出張では寄ることが出来ないのでちょっと残念そう。

 ТАЙШЕТ(タイシェット)の手前でデルタ線が広がる箇所があり、そこがバム鉄道の分岐点だった。
 今回はロシア号でのシベリア鉄道横断だけだが、その内機会を見つけてここからユーラシア最東端の駅ВАНИНО(ヴァニノ)のまで列車で移動することも考えておこう。
 ТАЙШЕТ(タイシェット)は6分早着のため短時間停車でも降りられるかと思いデッキに行ってみる。
 デッキではナディア車掌は扉を開けて外をうかがっているものの、ステップは降ろしておらず、後ろで降りたいな〜というオーラを発していたが、不敵な笑顔を浮かべつつ、Het(ニェット ダメ)と言うのでスゴスゴと引き上げる。
 あきらめて廊下の窓から駅舎の写真を撮るが、気温の表示は4度となっておりかなり寒そうだ。
 

ТАЙШЕТ(タイシェット)駅駅舎

ТАЙШЕТ(タイシェット)外気温

夕食

 ТАЙШЕТ(タイシェット)出発後は夕飯ということで、イーゴリ氏ともども持参の食料を広げる。
 今回は持参したマジックライスの牛飯とわかめスープの献立で、またキュウリとトマトをご馳走になる。
 ただ今回のキュウリはもの凄く苦かったのだが、失礼の無いように美味そうに食べさせてもらう。
 
 この辺りで7号車にИРКУТСК(イルクーツク)から乗り込んだツアーの乗客がアイスの車内販売でぼられたと添乗員に話しているのが聞こえてくるが、どうやらアイス1個で1000ルーブル札を渡したのにお釣りをくれないとのこと。
 添乗員氏の話ではこの国ではそういうごまかしは余りないので何かの間違いではとのことだが、いつまでもツアー客が同じ事を言っているのが聞こえてくる。
 さすがにちょっとしつこいな〜と感じ始めた頃、車販の車掌がお釣りを持って戻ってきて一件落着となった。
 結局は高額紙幣でお釣りがないので、後で持ってくると車掌が話していたのを理解できていなかっただけのようだ。
 多少高額な車内販売だが、添乗員氏の言うとおり決めたことにはついては基本的にごまかしは行わない国民性のようだ。
 ただ添乗員氏もこういったトラブルの解決などいろいろ有りそうで大変だ。

 しばらくすると古いタイプの流線型のエレクトリーチカと遭遇するも突然のことなので写真も撮れずじまいだが、まだ稼働状態にあることが確認できた。
 てっきり全て引退してしまったいると思っていたが、まだ多少は生き残っているようだ。

 しばらくこちらは居眠りなどしてしまっていたが、イーゴリ氏はシンポジュームの予習に余念がない様子。
 私が持っていた4色ボールペンが気に入ったようなので、ここで進呈。
 またトマトやキュウリなどご馳走になったので、日本のお土産として柿の種もプレゼントする。
 柿の種には不思議そうな顔をしていたがバルチカ、ハラショーと言ってビールに合うような事を言ったら喜んで受け取ってくれた。
 そういえばこの人昨日から紅茶はよく飲んでいたが、ビールもウォッカも飲んでいない。
 食堂車でもメニューには有ったけど、車内で酔っている人も見ないし、食堂車以外は車内禁酒という噂は本当かもしれない。

 短時間停車のРЕШОТЫ(レショトイ)ではホームが工事中であったが、ロシア号の両側に貨物列車が停車しているため、周囲の状況はまるで分からなかった。

 その後ツアーの添乗員氏としばし雑談するが、久し振りに日本語を話す気がする。
 どうやらクラブツーリズムのツアーのようで、ロシア号を乗り継ぎながらウラジオストクからモスクワまで、廻るツアーのようだ。
 ロシア号は2日に1回の運転のため、途中駅で下車して観光してから次のロシア号で移動するパターンとのこと。
 そのためこちらが1週間の駆け足なのに対して2週間の行程と大分余裕のある行程のようだ。
 今年は紅葉が少し遅いが、気温は低めとのことで、何度もこの時期のロシアに来ている模様。
 今晩到着するクラスノヤルスクの辺りは夜は氷点下になりそうだとのこと。
 今日はクラスノヤルスクで下車して、2日後のロシア号でモスクワに向かうとの予定になっている。
 添乗員氏の渡航先は結構私の出張先と重なっており、スリランカやミャンマーなど、意外なところで全然関係ない場所の話題が出たりするものだと驚く。

 この辺りでタイムゾーンが変わりモスクワとは時差+4hとなる。
 一応妻に生存報告の電話を入れておく。

ИЛАНСКАЯ(イランスカヤ)駅駅舎

ИЛАНСКАЯ(イランスカヤ)の保存SL

ИЛАНСКАЯ(イランスカヤ)石炭補給作業

ИЛАНСКАЯ(イランスカヤ)駅ホーム

ИЛАНСКАЯ(イランスカヤ)駅西側の機関区

ИЛАНСКАЯ(イランスカヤ)駅構内

ИЛАНСКАЯ(イランスカヤ)駅保存SLの広場

ИЛАНСКАЯ(イランスカヤ) 
 モスクワ起点 4344km(営業キロ)


 本日の日中の最後の停車駅ИЛАНСКАЯ(イランスカヤ)へは5分早着の14:45(現地時刻18:45)に到着。
 日没直前でかなり寒い。
 駅に隣接した広場にSLの保存機がある。
 荷物車の方では暖房用の石炭の補給作業を行っており、石炭ボイラーからは煙が上がっている。
 この駅のキオスクはこれまでと違い、店の中に入れる構造となっており商品が選びやすい。
 これまでは小さな窓から商品名を言って買うシステムなので、ロシア語が通じないと正直買い物は難しかったが、ここなら私でも指さしで問題なく買える。
 おやつとしてポテチとヨーグルトドリンクを購入。
( ポテチ21ルーブル、ヨーグルトドリンク55ルーブル)

 出発信号は15:00に点灯したので、車内に戻ると発車の10分前だが車掌さんはドアを閉めてしまった。
 車内に戻るとイーゴリ氏はベットでお休み中のようだ。
 ИЛАНСКАЯ(イランスカヤ)を定刻より1分早発の15:11(現地時刻19:11)に出発。
 周囲は日が暮れてほとんど何も見えなくなってくる。
 途中車掌さんの車内清掃がある程度で、クラスノヤルスク到着まで、眠りこけてしまう。
 

КРАСНОЯРСК(クラスノヤルスク)駅ホーム

КРАСНОЯРСК(クラスノヤルスク)
 モスクワ 起点4065km (営業キロ)


 КРАСНОЯРСК(クラスノヤルスク)到着直前まで居眠りしてしまっていたが、イーゴリ氏にもうすぐ着くぞと起こされる。
 ホームに降りるんだろう?ということで、到着前に起こしてもらえて助かった。
 急ぎ準備をするが、イーゴリ氏はもう下車の準備は万全のようだ。

 КРАСНОЯРСК(クラスノヤルスク)には定時の19:08(現地時刻23:08)に到着。
 ここまでのイーゴリ氏とホームで握手して別れる。
 彼は地下道に消えていき、私は機関車を確認すべくホームを歩いていく。
 先ほどのツアーの一団もここまでなので、添乗員氏に挨拶して別れる。
 結構乗降が有るようで、降車客もさることながら、乗車する人も結構いる。
 車掌さんは切符のチェックに降りた乗客の部屋のシーツ交換などかなり慌ただしそう。
 しかし添乗員氏の情報どおりここの寒さは格別だ、ダウンを着込んでいても骨まで寒さが伝わってくる感じだ。
 機関車の方は交換する様子はないようなので、跨線橋を渡って駅前広場に向かってみると、駅舎から出たきたイーゴリ氏と再会。
 改めて別れの挨拶をするもののしばらく駅前の写真を撮ってから、そろそろホームに戻るかという頃にさらにイーゴリ氏が通りかかった。
 お互い大笑いしながら、今度こそ最後と握手で別れる。

 ホームに戻るとまだ車掌さんは車内でシーツ交換をしており、乗客が廊下で待っているのが見えるのでこの駅での仕事は車掌さんには一大イベントなのだろう。
 自室に戻るとイーゴリ氏に代わり、比較的若い女性が相席となるようだ。
 すでに着替えており、さっさと寝る気のような感じでベッドに入りスマホをいじっているので、挨拶だけしてこちらも寝ることにしよう。
 部屋の照明を消していいか聞いたらもちろんとの事なので出発と同時に消灯してこちらも休むことにするのであった。
 

КРАСНОЯРСК(クラスノヤルスク)駅舎正面

КРАСНОЯРСК(クラスノヤルスク)停車中のロシア号