9月17日 ナザレ移動日

 本日は次の目的地ナザレへの移動日で、コンチネンタルスタイルの朝食を食べたらすぐにチェックアウトし駅に向かう。表に出るとすごい霧で遠くが見えない。
 乗車予定のIC(急行)は町はずれのカンパニャン駅から発車するのでサンベント駅より連絡列車で移動となるが、切符売り場でナザレに近いバァラド駅までの切符を頼むと途中のコインブラまでしか買えないようだ。
 とりあえずICの一等車の切符を購入してカンパニャン駅に向かう。
 列車はすでに入線しており地下道を通って8番線に向かう。途中、お婆さんが荷物を持って階段を上がるのが辛そうなので手伝ってあげるとものすごく感謝されてしまった。
 日本でも滅多にそんな事しないのになあ、我ながら不思議に思いながらも1等車に向かう。
 車内はゆったりしており1時間程度の乗車なので別に1等車で無くても良かったのだが、一応見てみたいとの好奇心から乗車した。でも私の様に若いものはほとんど乗っていないのでちょっと場違いだったかなと反省する。

 列車は10分遅れで発車したが車内は静かで乗り心地は結構良い。でも途中で徐行を繰り返し、乗換駅のコインブラには20分遅れの到着となった。乗り換え列車は10分の待ち合わせだったので行ってしまったかもと不安になるが、駅員に聞くと隣の列車だよとのことなので一安心し乗車する。
 乗り換えた列車で30分ほど揺られ次の乗換駅B.Laresで下車すると、3角線の中の信号場のような駅であった。
 駅前には人家が無く、駅員がいなかったら、ちょっと心細かったかも。
 30分ほどの待ち合わせで、ナザレに向かう列車が到着した。
到着したのは、ちょっととばかり古そうな流線型の気動車であったが、内装は木が結構使われており雰囲気は抜群である。
 古い気動車ではあるが快調に飛ばして約50分でバァラド駅に到着し、駅のホームで今まで乗っていた気動車の写真を撮っていると1人のおじさんが日本人か?と聞いてきた。
 「なんだよ写真撮ってんだから邪魔すんなよ」と思いながらもそうだよと返事すると、なにやら手紙を見せてきた。
 読んでみるとこのアントニオおじさん宿はお薦めだよと、前に泊まった日本人らしき人の推薦の手紙だった。
 こうゆう手紙を見せるほうがかえって怪しさ100倍という気がするのは私だけであろうか?
 どっちにしろホテルの予約をしているので断るとどこに泊まるんだ、しつこく聞いてくるので、老舗のダ・ナザレだというと、お前見たいな若造がか?というようなそぶりで行ってしまった。
 まったく失礼なと思いつつ、駅前にでてタクシーを拾うと今度はおばさんが声をかけてくる。
 また客引きか?と思ったら市内まで乗せてくれないかとのこと。
  ちゃっかりしてんなあと思いつつも旅行で気が大きくなっているのかOKしてしまう。
 タクシーで約10分、蒼い海にオレンジの屋根と真っ白な壁の家々が見えてくる。
まるで絵はがきみたいだと見とれていると、なんかすごい人出であった。
 ホテルの前でおりるとおばさんが礼を言って去っていった。
 チェックインの後は、食事がまだなので市内に出かけるが、海沿いの道はすごい人出で歩くのも一苦労といった感じた。
 表通りのレストランはどこも満員なので裏通りのレストランに入り、鱈のトマト煮込みを平らげた後は、ケーブルカーで上のオシィティオに上がってみる。
 広場の方に歩いて行くと、なぜかとても賑やかなような?どうやらお祭りで移動遊園地がきているらしく、オシティオの広場は下よりさらにすごい人出であった。
 とりあえず、サン・ミゲル砦に行くと、こちらは全く人がおらず、本来のナザレの姿はこんな感じなんだろうなという印象をうける。
 また広場にも戻って土産物屋を見ながらぶらぶらしていたが、雲行きが怪しいのでケーブルカーに乗り、ホテルに戻る頃には霧雨が降り始めていた。
 仕方ないので部屋でたまっていたメールやホームページの下書きなどを書いて夕方まで過ごした。
 夕方、雨が上がったようなので再度オシティオに上がると、遊園地の電飾がとても鮮やかできれいだ。また土産物屋を覗いたりしながらしばらくぶらぶらした後、食事をとりに下に降りてホテル近くのレストランに入る。
 メニューを見ると全てポルトガル語でガイドブックを持ってくるのを忘れたため魚料理を適当に頼むとイカのグリルが出てきた。
 期待していたのとずいぶん違うがしょうがない。
 当てずっぽうで注文していつもいいものに当たった試しがない。
 注文くらいはちゃんと確認しなしといけないなと反省。
 食後は宿に戻り、テラスから表の通りを眺めながらしばし時間を過ごしてから就寝した。