2011年 7月4日 3日目 Praha移動

 本日の起床は5時過ぎで、思っていたよりは時差ぼけがひどくない。
 今日は昼過ぎの列車でプラハてに移動するので、午前中に王宮のあたりを見学する。
 食事については7時過ぎに食堂に向かい、パンにソーセージなどのいつものメニューで朝食にするが、部屋代に含まれていると思っていた朝食は別料金だったことが判明。
 8時過ぎにはホテルをチェックアウトし、フロントで荷物を昼過ぎまで預かってもらう。

 地下鉄U3線で Herrengasse駅まで向かい、王宮の前庭の方を一周して一度マリアテレジア像まで行ってから王宮見学の入り口まで移動するが、相変わらず天気の方は優れない。
 王宮見学は9時過ぎからの開館のようで、まだちょっと早いため、そばのMichaelerplatzのあたりで時間をつぶしてから、宮廷食卓調度・銀器コレクションとシシィ(エリザベート妃)博物館、王宮内の見学に移るのだった。

 銀器コレクション博物館は以前にも見学していたが、あまりちゃんと見る気まないので、それなりサラッと流していたが、今回はガイドフォンでそれなりに内容を確認しながら回ったので、結構時間がかかった。
 歴史とともに流行と技術の発達が見て取れるのはおもしろいが、正直あまりにも数が膨大なので、ちょっと飽きる。

 シシィ博物館では、入ると直ぐにエリザベート妃のデスマスクがあり、美人かどうか別としてその顔の小ささにちょっと妻はショックを受け気味のようだ。
 我々夫婦そろって帽子を買う時はいつも頭のサイズが大きいのが悩みの種だったが、デスマスクを見ていると同じ人類とはちょっと思えない。
 ほかにはドレス(レプリカ)の展示もあるが、スタイルにとにかく気を遣っていいたことからだいぶ細身の様だ。
 それに毎日髪の手入れに3時間かかるなど、身だしなみの時間がかかるのはわかるが、さすがに理解の範疇を越えている。
 その他王宮の説明については、シェーンブル宮殿と基本的には同一で、働き者の皇帝と自由奔放な妃の構図は変わらない。
 ただ食卓でのエピソードでは、食事は1回45分で、皇帝がナイフとフォークを置いたらその他人の分も含めて食器が下げられるそうで、食事が遅い人だと食べそびれるのではないか?などと他人事ながらちょっと心配となってくる。
 実際には皇帝が周りに配慮して全員食べ終わるまで、食器を置かないなど配慮していたようだが、皇帝の機嫌が悪いとさっさと下げられてしまいそうだ。

王宮

モーツアルト像
 王宮見学が終わると時間は11時に近くなってきた。
 駅への移動もあるので、ト音記号の植え込みがきれいなモーツアルト像を見てから、戻ることにしよう。
 王宮を出ると天気のほうは回復してきているようで、雨はあがっていた。
 モーツアルト像は銅像の基部にピアノの鍵盤の彫刻が施してあり、小さな子供がピアノを引くまねをしているのがほほえましい。
 私は、以前にも見ているのでちょっとはずれたところで喫煙していると、リンクをトラムの事業用車が走ってくる。 
 小さい車体がちょこまかと走る様はなかなかユーモラスで、思わぬ車両の登場に喜びながら、シャッターを切りまくるのであった。

トラムの事業用車両

マリアテレジア像

 モーツアルト像を後にすると、先ほど見たマリアテレジア像を再度天気がよい状態で見学してから、裏手のVolkstheater駅まで移動して、ホテルのある西駅に戻る。
 ホテルで荷物を受け取り、再度西駅より地下鉄U6線で、プラハ行きの出発するWien Meidlingとの乗換駅となるPhiladelphiabuckeまで移動する。
 Wien Meidling駅には11時30分頃到着し、構内のケバブ屋で昼食用に紙製のボックスに入ったケバブとポテトの購入。
 店員さんとのコミュニケーションがうまくいかなかったが、何とか2人前を買うことが出来た。

 列車の方は12時33分に出発するEC70。
 ここが始発駅ではないので、列車が到着するまでホームでちょこちょこ写真を撮りながら過ごさせてもらう。

 列車の方は定刻の12時28分にWr.Neustadt Hbfより到着。
 牽引機はOBB(オーストリア国鉄) 「TURUS」シリーズのClass1216、客車は1等1両、2等4両、食堂車1両の6両編成でチェコ鉄道(CD)の車両で組成されていた。

 ちなみにClass1216は帰国後写真整理中に形式名に気が付いたが、それまでは1016か1116だろうとしか思っていなかった。
 帰国後確認したところ、各形式の違いは以下の通り。
 Class1016 対応電源 AC15kV  ドイツ、オーストリア用 単電源車
 Class1116 対応電源 AC25kV/AC15kV フランス対応用2電源対応車。東欧他AC25kV区間にも対応)
 Class1216 対応電源 AC25kV/AC15kV/DC3kV イタリア、チェコ直流区間対応用(現在の増備形式)

 早速車内に乗り込むが、1等車は空いていると想像していたのに反して、バックパッカーの様な人たちが乗り込もうとしている。
 てっきり、2等と違えているのでは?と思っていたが意外と1等の乗客だった人も多い。
 車内の予約表を見ていると意外と指定されてる座席が多いが、無事に空いている進行方向向きの二人掛け席を確保して、一路プラハを目指す。
 プラハ到着は17時過ぎのため、結構な乗車時時間だが、初めて足を踏み入れる国にちょっと期待がふくらんでくる。
 列車は定刻に発車して、以前グラーツに向かう際に利用したWein 南駅のそばをかすめるが、どうやら大規模な配線変更を行っているようで、以前に利用した ホームのあたりは、完全に更地にされてしまっている。
 ウィーンの近郊を走っているときは、あちこちで分岐をわたり、進路を変えるため速度は上がらない。
 おなかの方も減ってきたので、早速仕入れたケバブで昼食にさせてもらう。
 
 列車はウィーン市街を抜けると、やっと速度を100km/h程度まであげて、進路を北よりに取りつつ、チェコ国境を目指す。
 このころから、車内にいるイスラム系女性の若者四人がだいぶ五月蠅いことが気になりだしたが、こいつらが最後まで、五月蠅いままだとはこのときは想像もしていなかった。

 Wienより一時間強でチェコ国内に入り、国境駅のBreclavで10分ほど停車する。
 てっきり国境駅で機関車を交換するものと思っていたが、どうやらOBBの機関車がそのまま直通するようだ。
 一応乗務員は交代のようで、OBBの車掌さんから、CDの車掌さんに交代していた。
 また1等車のサービス要員として、グレーの軍服に似た制服の金髪の若い女性が乗り込んできた。
 構内には見慣れないチェコの機関車がたむろしており、写真を撮りたかった230型も数多く留置されているが塗装状態がよくない物が多く、連結して留置されているところを見ると休車か廃車後の姿のようにも見える。
 とりあえず車内禁煙のためホームでたばこを吸っていたら警官が近づいてくるので、エジプト出張時に警官に止められまくったのを思い出した。
 思わず写真を撮るなと言ってくるのかと警戒するが、注意されたのは写真ではなくてタバコの方だった。
 ___
 ヽ=@=ノ
  (・◇・)"b" チッチッチ 「屋根ノアルトコロハ禁煙ダヨ!」

 隣で地元のおっさんが吸っているので大丈夫かと思ったら、駅構内は禁煙だったようだ。
 ドイツの様にホーム上に灰皿が無いし、あちこち吸い殻だらけなのでちょっと油断した。
 取り急ぎ携帯灰皿に吸い殻をしまい、車内に戻ることにしよう。

 Breclavを出発すると、次の停車駅はチェコ第2の都市Brnoとなり、道中の車窓はなだらかな起伏の続く田園地帯となっていた。
 先ほどのグレーの制服のアテンダントからサービスとしてコーヒーを貰い、飲みながら車窓に見入るが同じ車内のイスラム系の女性陣がだいぶ騒々しくなってきた。
 話す内容についてはわからないが、単語の所々にエジプトで聞いた言葉が聞こえてくることからアラビア語なのは間違いない。
 くだらない話をしているのは間違いなさそうだが、大声で下品に笑ったり歌を歌うのは勘弁してほしい。
 周りの乗客もだいぶ不愉快そうだが、 注意するまでにはいたっていない。
 しかし時間とともに思いっきりムカついてきたので注意するか思ったが、妻の方から注意しても気分が悪い思いをさせられるだろうから放って置いた方がよいと言われ自重する。
 確かにエジプト出張中はボッタクリの店員と何度もマジギレの口げんかを繰り広げ、相当ムカツク思いをしたことがあるので、アラブ系とは正直もう関わりたくないのが本音だ。 

230型機関車(Breclav駅)

363型機関車(Breclav駅)

 14時30分頃にはBrnoに到着したが、若干早着気味ということで、ホームに出て取り急ぎ止まっている列車の写真を撮る。
 結構な両数の機関車が留置されているが、見慣れぬデザインの車両が多いことにちょっと感動。
 やはり旧共産圏ということで、車両のデザインも無骨というか私流の言い方では凶悪な面構えの車両が多い。
 ガイコツみたいな電車や、ゲームディグダグの敵キャラみたいなディーゼル機関車など初めて目にする車両ばかりで、興味が尽きない。
 ただ停車時間はそれほど長くないので、さっと撮ったら、あわてて車内に戻る。

ガイコツみたいな560系電車

Class754型ディーゼル機関車

 Brnoを出発するとそれまでのなだらかな田園風景が一変して、結構山がちな地形となってきた。
 峠越えの区間らしく、結構な勾配を急曲線とトンネルで越えていく。
 チェコも所々は山がちな地形な様だが、思いっきり山岳区間といった様相を呈していたのは、このあたりのだけのようだ。
 その後は列車は160km/hくらいで快調に飛ばして、17時過ぎにプラハに到着するが、その道中はアラブ系に気分を害されたままであった。
 プラハ駅で降り立つ他の乗客の視線も冷ややかな様子から、だいぶみんなうんざり気味のご様子だ。
 
 とりあえずホテルに移動しなければならないが、チェコの通貨はチェココルナのため、当然持っていない。
 駅構内にはATMがあるので特に現金の入手には困らないが、移動する地下鉄の切符に付いては窓口が開いていないため、自動販売機で購入する必要がある。
 入手した現金は札しかないので、国鉄駅の窓口で地下鉄のチケットを買えないか聞いてみたが、こちらでは販売しておらず、近くの売店で買い物して崩すしかないようだ。
 構内のコンビニで水を購入する事で、小銭を確保して無事地下鉄のチケットを購入する。
 駅構内には、Voda foneの店舗があるので、ホテルでネットに接続できない場合は、後でSIMカードを買いにくることにしよう。
 地下鉄の方は、ガイドブックにスリに注意とあるので、警戒ずるが特に他国の地下鉄と違いはないようだ。
 プラハ本駅から、地下鉄C線で1駅南のMUZEUMにてAに乗り換え、Vltava川沿いのMalostanska駅まで三駅ほど移動する。
 C線は比較的近年出来たようで、浅い位置にあるらに対して、A線は深い位置を走っており、ホームの構造や施設を見ていると核シェルターの隔壁シャッターらしき施設が見れたり、冷戦期の建設であることが伺えた。

 ホテルの方は、Malostanska駅から徒歩10分弱のArchibald At the Charles Bridgeで有名なカレル橋に近い、川沿いのホテルである。
 一応部屋の方は橋が見えるリバーサイドビューで予約していたが、意外と木立が邪魔であまり見晴らしはよくないようだ。
 内装は問題なくカペル橋が近いので観光にには便利そうだ。

ホテル外観

ホテルの部屋

 部屋に荷物を置いたら、直ぐそばのカペル橋まで行ってみるが、橋の上には似顔絵描きや土産物の露天が多く、人出の方もかなりある。
 肝心の眺めの方は背後にお城が見え、なかなかのロケーションで美しい町並みに感動だ。
 お城の観光は明日改めて行くこととして橋の反対側となる旧市街まで歩いていくことにする。
 カレル橋から続く旧市街のカレル通りは、土産物屋が連なりなかなか活況を呈しているようだ。
 こちらでは、黒っぽい宝石がやたらと売られていると思ったら名産品のガーネットであった。
 後は人形劇が有名なことから操り人形のおみやげが多い。
 ただ、値段を見ていると意外と安くなく、あんまりお買い得感がない。
 ユーロも一時に比べれば、だいぶ円高になったので高い印象が無かったが、チェコの方が割高に感じるとは意外であった。
 旧市街のカレル通りを一往復した後は、橋を渡りホテルのある西岸に戻るが、有名なトラムのガントレット区間のある聖ミラクーシュ教会前の広場まで行ってみる。
 ガントレット区間についてはすぐに発見できたが、だいぶ日も傾いてきたので、あまりちゃんとした写真は撮れそうもない。
 そもそも一眼レフについてはホテルに置いてきたし・・・・

 コンパクトカメラで適当に写真を撮った後は、そろそろ夕食ということで、ホテル近くの適当なレストランにはいる。
 もともとは昨日のシェニッツエルの件もあり、Macなとで軽めに済まそうと思ったら、妻の方が食べる気満々のようで、いつもとは反対だ。
 
 チェコの名物としては、クネドリーキ(ダンプリング)という蒸しパンの様な料理があるようなので、私の方は豚肉のローストとクネドリーキ、ザワークラフト添え、妻はローストダックにする。

 クネドリーキの方は凝縮した無味の蒸しパンといった感じでまあ食べられるというものだが、あまりおいしい物ではないようだ。
 (材料は小麦粉と卵黄らしく、ちょっともちもちとした食感がある。)

 一応私は完食したが、また妻の方は昨日に引き続き苦戦しているようだ。
 妻曰くクネドリーキはまだ食べられるが、ここのザワークラフトはとても不味いとのこと。
  まるでゲ○の様な味と恐ろしいことを言っている。
 (過去のドイツビール発言といい、なかなか過激な物言いだ。)
 完食した私の舌が馬鹿舌だとの宣告にも受け取れるが、妻に言わせると味音痴ではないが、味覚のストライクゾーンが広すぎるらしい。

 それにしても、食べられないものはしょうがないが、昨日に引き続き妻の方は夕食にちょっとやられ気味のようである。
 自分の味覚にちょっと疑問を抱きつつも、食事を終えたらホテルに戻り休むことにするのだった。
 

本日の移動経路