本日の活動開始は6時過ぎ、もっとも朝食は7時30分からなので、人通りが少ないであろうカペル橋まで朝の散策に出かける。 ホテルが橋の直ぐそばなのでこういった場合には非常に便利だ。 橋まで行ってみると予想通り歩いているのはほんの数人、延長の長い橋ではほとんど無人といって差し支えないほどである。 橋の中程には聖ヤン・ネポムツキー像があり、像のレリーフにふれると幸運が訪れるとのことから一応さわっておく。 橋の上をのんびり東岸の旧市街側まで一往復してから昨日訪れたトラムのガントレット区間がある聖ミラクーシュ教会前まで行ってみる。 トラムの方は早朝のためあまり本数がないが、しばらく粘ってとりあえず数カットをカメラに納める。 後は光線状態のよい時間帯を見計らって、再度運行本数の多い時間帯に来ることにしよう。 |
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ホテルに戻ると時間は7時過ぎのため、適当なところで食堂に向かい、朝食にする。 メニューの方はいつものバイキング形式だが、パンの種類がちょっと多めなのがうれしいところ。 もっともそれ以外のメニューはそれほど充実しているというわけではないが、特に問題ないレベルである。 8時半過ぎにホテルを動き出し、とりあえずは丘の上のプラハ城を目指す。 道中は結構な上り坂で、我々と同様なペースで欧米人のカップルが上がっていくが、必要以上にイチャイチャしているのが見苦しい。 相変わらずブサイクカップルほど人前でイチャイチャしたがるの法則は健在だなと妻と納得しつつ、9時前には城前の広場に到着。 正門前では毎時0分に衛兵の交代があるので正面入り口前で交代を待つが、みんな正面のあたりを開けて輪になって待ちかまえていると中国人ツアーの一団がそんなことはお構いなしに前にズケズケと入り込んできたので、待っていた人達からは大顰蹙だ。 無礼な団体と混同されると迷惑なので一団から距離を取るが、かなり周囲の人はご立腹のご様子。 一団に食ってかかる人もあちこちで見られた。 中国人が恥さらすのは勝手だが、こちらまで勘違いされると色々と面倒だし、こちらもいい写真が撮れなかったのでかなりムカついたのが正直なところ。 衛兵交代の方は西側のように伝統ある衣装というわけではないが、一応式典用の制服のようだ。 歩き方は旧東側らしく、行進するときにヒザを曲げずに歩くグースステップなのが特徴だった。 交代式の後は内部見学と言うことでチケット売り場を探すのだか場所がよくわからない・。 最終的には、中庭に有ったインフォメーションで無事購入。 見学のシステムがわかりずらいなと思ったが、各見学施設の前で検札を受けてそれぞれの施設に入場するシステムのようだ。 |
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まず最初は聖ヴィート聖堂からで、プラハ城の外見を決定づけるゴシツク式の大聖堂で入り口あたりはチケット無しでも見られるが、奥まで行くのにはチケットが必要。 改札を抜けた直ぐ左には、ムハのステンドグラスがあるが、ガイドブックを見ていた妻に教えてもらわなければ、そのまま通過してしまうところだった。 奥の方には、なにやら銀細工の派手な墓碑らしき物があると思ったら、ネポムツキーの物らしい。 棺らしき形をしている部分があるが、さすがに中に遺体は入ってないのだろうと思われる。(真偽については不明) 聖堂を後にすると、旧王宮、聖イジー教会、聖イジー修道院と見学していく。 旧王宮は現在も大統領選で使うことのある広いホールと市街が一望出来るテラスが印象的だ。 聖イジー教会も内部は歴史は感じさせるが、意外とこじんまりしている印象だ。 聖イジー教会の隣にある修道院は美術館になっており、あまり詳しくない我々はサラっと見ると直ぐに美術館を後にするのであった。 聖イジー教会のあたりを抜けると、プラハ城の敷地の半分ほどを過ぎたようだ。 残りは黄金の小道というかつては錬金術師の仕事場だった間口の小さな建物が連なる一角に入るが、改札のあたりは大混雑で先ほどの中国人の一団もいて、整然と入場するにはほど遠いカオスな状態であった。 黄金の小道では、家番号22番をかつて作家のカフカが仕事場として使用していたのだが、彼の著作を読んだことはないので正直ピンとこない。 そのほかの小屋はかつての生活様式を再現していたり、土産物屋として使用されているようだ。 黄金の小道を抜け、かつて牢獄として使用されていたダリボルカで拷問器具などを見てからおもちゃ博物館前の広場に抜ける。 おもちゃ博物館については飛ばすことにしたが、その前にある少年の全裸像の前でなにやら人だかりが出来ていると思ったら、女性たちが銅像の大事な部分をさわりながら記念写真を撮っていた。 銅像の方はだいぶさわられたのか、そこだけ金ピカに輝いていており、下ネタに走るのは万国共通かと妻と二人で苦笑する。 最初に入ったのとは逆の旧登山道側の門を抜けると、こちらにも衛兵が立っているがあまり人がいないので、妻を入れて記念写真を撮らせてもらう。 撮影後に「Thank you」と声をかけると、ちっょとだけ口元がニヤッとしたような気がする。 妻に言わせるとほかの写真を撮っているときはカメラ目線だったとのことだが、このときは気が付かなかった。 (後日改めて写真を見るとしっかりとカメラ目線であった。) |
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プラハ城を後にすると時間はの方はお昼前になっていた。 昨日下車した地下鉄のMalostranskaで72時間券を購入してから、地下鉄で移動することにする。 1駅先のStaromestska駅から旧市街の旧市街広場に向かい、食事にしてから、市内観光のバスツアーに申し込むことにしよう。 広場についてツアーの出発時刻を調べると、13時45分とのことなのでしばらく時間がある。 とりあえず昼食ということだが、妻の方はこれまでの食事における教訓から通常のレストランはもう勘弁という様な有様だ。 あちこち見て歩いて、最終的には市庁舎近くのイタリアンレストランでビザを1枚注文して、二人でシェアすることにした。 ピザの方はマルガリータを注文、意外と大きく二人で分けると調度よい大きさだった。 食後は1時近くになったことから、市庁舎のからくり時計を鑑賞すべく、時計の前で待機するが、日差しの方が強くなってきており、昨日までに比べるとかなり暑い。 からくり時計の方は結構しょぼくて、時計の上で人形がちょっと回ったかと思ったら直ぐ終わりになってしまった。 これでおしまい?と思っていたら、塔の上で別途トランペツトの演奏が始まり、全体としてはまあまあ楽しめたが、からくりだけでは正直がっかりするところだった。 市庁舎見学後はヤン・フス像を見たり、旧市街の聖ミラクーシュ教会を見学、ティーン教会の周りを見るなどしいたが、出発まではまだちょっと時間がある。 とりあえず私はバス乗り場近くで待機している間、妻の方は周囲の散策に出かける。 一人で喫煙していると怪しい黒人が両替すると行って来ているが、とりあえず全く相手にしないようにする。 お約束だとこの後ニセ警官の登場となるはずだが、ガン無視をしていたので、特にそのようなことはなかった。 そのうちバスの受付が始まり乗車が開始されたようだ、妻のほうが戻ってこないので電話で呼び出し、とりあえず席の方を確保する。 観光のバスはちょっと小さめだが、日本語ガイドもあり、街の全体像をつかむのには打ってつけだろう。 屋根は全開になっているが、窓が開かないので風が通らず、日差しできつくて結構暑いのが難点だ。 |
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観光バスは定刻をよりちょっと遅れて14時過ぎに出発するが、ガイドとバスの走行位置が微妙にずれているので、通過後に案内が始まるため観光案内についてはまるで役に立たない。 ルート的には、ユダヤ人地区、市民会館、火薬塔、プラハ本駅、国立博物館、ヴェーツラフ広場、イラーセク橋、チェコ軍団橋、マーネス橋から、プラハ城に行って30分ほど休憩するルートでっあった。 プラハ城については、見学したい人はそちらに行くようだが、我々は午前中に見ているので改めていく必要はなく、30分後の集合時間まで直射日光に大分に大分やられ気味のため近くのカフェで休憩を取ることにした。 30分後の休憩の後バスに戻ると、何人かは戻ってきていないようだが、お城観光のためツアーを放棄したと見なされ、そのまま出発となる。 お城から市街に戻る坂道はトラムの路線惹かれているが、かなり急勾配の葛折りの道路にトラムの路線があるのはちょっと珍しい。 後で時間があったら乗りにくることにしよう。 その後出発地の旧市街広場で解散となるが、さてこの後はどうするか? そろそろ鉄分が切れ気味で駅に行きたいと私と、とりあえずショッピングセンターを見る妻とに別れ別行動に移ることにする。 私の方はホテルでネットにつなげられ無かったので、Voda foneのSIMカードを入手したいと言うこともあり、これまで店が見つけられたのがプラハ本駅だけだったという理由もある。 地下鉄駅で別れ16時過ぎにはプラハ本駅に到着。 ホームに上がると停車している車両は比較的新しい物が多く、近郊電車は2階建てのCity Elefantという愛称の470系電車が使用されていた。 個人的には昨日見かけたClass230の写真が撮りたいと思っていたが、構内にはそれらしき車両の姿はない。 停車している機関車はもう少し新しい形式のようだ。 注) このときはチェコは電化方式が交流25KVと直流3KVの2種類あることを知らなかった。 プラハ近郊は直流3KVで電化されており、目当てのClass230は交流専用機であるため、プラハまでやってくることはないのであった。 |
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スロバキア鉄道 Class350 |
チェコ鉄道 Class371 |
チェコ近郊区間列車 470系 |
Super City 都市間連絡特急 680系 |
しばらく粘ってやってくる列車をカメラに納めるが、目当ての車両はこないようだ。 適当なところで引き上げることにするが、帰る前にSIMカードを購入しようVoda foneの店に行くと生憎なことに休みのようだ。 今日だめだとプラハにいるは1日ちょっとなるので、わざわざSIMカードを買ってあまり使いそうもないのためチェコでのネット接続はあきらめることにするか。 地下鉄で戻ることにするが、ホテルの最寄り駅Malostranskaの2駅先DejvicaがA線の終点なので、一端そちらまで乗りつぶしに行ってみることにする。 Dejvicaで一度地上に上がると、トラムの停留場と接続されているので、方角的に戻る方向のトラムに乗ってみる。 とりあえず26系統のトラムがやってきたので飛び乗るが、車内で路線図を確認するとホテルの方角には戻らないようだ。 途中の停留場でとりあえず反対方向に乗り、地下鉄駅のHradcanska駅まで戻ることにしよう。 停留場で待っていると妻から電話が有り、ホテルの方に戻っているようである。 6時過ぎにこちらも戻ること伝えておく。 これまでは二人で海外に携帯を持ってこなかったが、やはり連絡を取れると便利だ。 ただし、通話料を安くするため特殊なSIMカードを使っているため、妻の方は発信出来ずに大分苦労したようである。(使い方は教えていたが、忘れていたようだ。) トラム、地下鉄と乗り継いでMalostranska間で戻るが、そこから歩いてホテルには向かわずトラムでガントレット区間のそばの聖ミラクーシュ教会前広場まで移動してトラムの撮影を行うが、こちらもやってくる時間がちょっと遅かったようで、ガントレットの入り口にうまく光が当たっていない。 仕方ないので明日再度時間を見計らって戻ってくることとして、一度ホテルに戻る。 今日は夕方のヴァルタヴァ川クルーズに行く予定なので6時20分頃にホテルを出発し、カレル橋のたもとのクルーズ受付に向かう。 |
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クルーズ船の出発は18時40分となっていたが、ちょっと遅れて50分頃に出発。 屋上のオープンテラスは6割程度乗船率だが、階下の船室には誰もいないようだ。 一度カレル橋の上流側(南側)の水門まで遡った後、カレル橋の下流側のマーネス橋で追加の乗客を乗せると、再度先ほど同じルートをたどるべく上流側を回ってから下流に向かうようだった。 クルーズの範囲はカレル橋から1.5KMほど下流の水門付近までで、途中いくつかの橋をくぐりながらのんびりと下っていく。 大分日が傾いているので川を渡ってくる風が心地よい。 20時前にはカレル橋の桟橋に戻り下船する。 |
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さてクルーズ後は夕食となるが、妻の方はここのところのダメージから回復していないようで地元料理のレストランに軽い不信感が有るようだ。 よって昨夜行こうと思ったMACで簡単な夕食を取ってからホテルに戻ることにした。 まあMACなら量と味について全世界で外れることはないし、大丈夫でしょう。 |
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