2015年 9月16日 シベリア鉄道乗車3日目


移動区間 ベース図面出典 Wikitrave
 Чернышевск-Забайкальскийチェルヌイシェフスク-ザバイカルスキー
 モスクワ起点 6555km(営業キロ) 構内キロポスト表示は6587km


 本日の起床は0:30(現地時間6:30)ですぐにЧернышевск-Забайкальскийチェルヌイシェフスク-ザバイカルスキー)に到着する。
 とりあえず着替えて、ひげ剃りなどは後回しにして下車の準備をする。
 どうも昨夜寝違えたのかちょっと首が痛い。

 到着は定刻の0:40(現地時間6:40)でまだ夜が明けきっておらず、若干薄暗い。
 昨夜は雨だった模様で、構内は濡れているがとりあえず下車した時点では雨は降っていない。
 
 ここでも点検のため打音検査を行うようだ。
 構内には白い軍服を着た男性が花を持って立っており、どうやら誰かの出迎えの様だが、相手は現れず空振りだった模様。
 隣の線には1両だけ座席客車を連結した機関車が停車しており、回送列車かと思ったら車内に乗客がいる。
 支線系統か、区間列車とは思うがロシア号の接続列車の様だ。

 ロシア号の後ろ側からディーゼル機関車が近づいて来るので、見学していたらどうやら最後尾の1両をここで切り離すようだ。
 もともとこの車両は乗降している旅客を見たこと無いと思っていたが、車掌室の窓は前後方向の監視が出来るように膨らんでいるし、監視カメラのような機材あちこちに配置されているので、どうやら軌道検測車のような事業用車両だった模様。

 出発まではまだ時間がある事から構内を横断する跨線橋に上がって周りの風景を撮っていると他に写真を撮っている男性がいる。
 こちらは相手のフレームに入らないように場所を移動するのだが何故かいつも私の方にカメラをむけている。
 風貌は40台と想われるちょっと痩せた感じがするが、ロシア陸軍の兵員が着ている青い横縞ストライプのTシャツが胸元から見える。
 軍の関係者かもしれないが、駅周辺の周辺を撮っている私はスパイを疑われ、マークされたのではないかと勘ぐってしまう。
 とりあえず跨線橋を降りて男性と距離を置くが、こちらを伺うそぶりを相変わらずしている。
 私の行動も昔なら御法度だが、今は鉄道施設の写真撮影は特に問題ないはずだが、まだ煩いところがあるのかもしれない。
 その後はおとなしく、車掌さんから見える範囲で喫煙しつつ、発車時刻の5分前には室内に戻る。

客車1両の接続列車と花を持った男性

最後尾車両車掌室の膨らんだ窓

駅舎

検測車と想われるロシア号最後尾車両の切り離し準備中

Чернышевск-Забайкальский
チェルヌイシェフスク-ザバイカルスキー

Чернышевск-Забайкальский
チェルヌイシェフスク-ザバイカルスキー

 Чернышевск-Забайкальский
チェルヌイシェフスク-ザバイカルスキー)を定刻で出発すると、曇っていた空も回復して薄日が差してきた。
 走り出すと窓の方は雨のせいか多少埃がついてまた見辛くなってしまっている。
 しばらくすると沿線にはシルカ川が併走するようになるが、その内また小雨がパラつくあいにくの天気となってしまった。
 とりあえず朝食はいつもの黒パンとスープのメニューで済ますが、大分黒パンににも慣れてきて、それなりに美味く感じてきた。

 次の停車駅КАРЫМСКАЯ(カルィムスカヤ)までは約5時間。
 線路はシルカ側に沿って結構蛇行を繰り返して進んでいく。
 大きなカーブが多く、結構遠くからでも対向列車がやってくるのが分かるのが楽しい。
 早起きしたせいか、まだ眠いので適当に座席に横になっていくが途中車内が寒くなってきたので目が覚める。
 それまではTシャツ1枚で丁度良かったのだが、寒いので上着を着込む。

 КАРЫМСКАЯ(カルィムスカヤ)の手前で、左の方から川を渡って近づいてくる線路が有るなと思ったら、旧満州を横断して北京に向かう旧東清鉄道の線路であった。
 現在も北京発の列車が週一で運転されているばすだが、私が利用することは無いだろう。


 КАРЫМСКАЯ(カルィムスカヤ)駅 モスクワ起点 6262km(営業キロ) 

 到着は5分遅れの6:04(現地時間12:04)で下車したところあまりの寒さに一瞬降りるのをためらうものの、意を決して外に出る。
 外に出た車掌さんもかなり寒そうで、早く戻っておいでみたいなことを言っている。
 
 停車時間はもともと18分なので、遅れた分降りていられる時間は短いため、大急ぎで構内を見て回るが駅前に水色の教会が有る程度で、駅舎の写真共々撮影したら、適当なところで7号車の前に戻るとすでに発車の5分前になっていた。
 車内に戻ろうとすると相変わらず欧米人の旦那がどこかに行こうとしている。
 さすがに時間がないよと声を掛けるがまだ5分有ると言っている。
 この人相変わらずここのシステムを理解していないようだとあきれつつ、引き留めていたら車掌さんが乗れ乗れと言っているので渋々列車の方に戻っていく。
 しかし何でいつもギリギリになってから列車を離れようとするのか理解に苦しむ人である。
 定刻で出発すると駅の西側には結構大きな機関区が併設されていた。
 旧東清鉄道の接続駅でもあると、ここも元は運転上の拠点となる駅なのであろう。
 

対向列車

シルカ川

北京方面路線の鉄橋

АРЫМСКАЯ(カルィムスカヤ)手前の半地下区間

КАРЫМСКАЯ(カルィムスカヤ)駅構内

КАРЫМСКАЯ(カルィムスカヤ)駅前の教会

シベリア鉄道3日目の昼食
 
 КАРЫМСКАЯ(カルィムスカヤ)を出てしばらくすると現地時刻で昼過ぎとなるので、昼食として日本のカップヌードル(シーフード味)を食べる。
 さすがにインスタントばかりでは飽きてきたので、今日の夕食は食堂車に行くことにしよう。
 
 食後も相変わらずただ車窓を眺めて過ごすが、大きな変化が有るわけでもないのに特に飽きない。
 こんなに何日も飽きることがないとは自分でも正直予想しなかったが、何もないような沿線でもいろいろ見てると小さな発見のような物がそれなりにあり、何となく車窓を見てないと損をしたような気になってくるためかもしれない。

 次の停車駅はЧИТА(チタ)で、今度は30分の長時間停車である。
 今日の日中は3駅しか停車しないが、その全ての駅が長時間停車となる。
 
 ЧИТА(チタ)は大都市なので同室の人が来るかもしれないので、ここらで着替えをしておく事にしよう。
 シャワーもないので、ホディペーパーで体を拭いておくが、乾燥しているためか日本にいるときのように体の臭いが気になるようなことはない。
 
 ЧИТА(チタ)の30分前の6229kmキロポスト付近では下り貨物が渋滞していて、また3列車が短い間隔で停車していた。
 どうも今日はあちこちで保線工事を行っているらしく、頻繁に下り線に転線するようだが、これまで見た保線作業などを勘案すると恐ろしい人数が全線での保線作業に携わっていることになる。 

 ЧИТА(チタ) モスクワ起点 6166km(営業キロ)
 
 ЧИТА(チタ)駅には、定刻の8:11(現地時刻14:11)に到着したが、何故か駅の手前からかなりのノロノロ運転でまるで人が歩く程度のスピードとなって構内に進入していた。
 別に早着回避のためとも思えないが、何か理由があるのかもしれない。
 ЧИТА(チタ)駅はこの辺では都会なので、駅前広場も広く駅前には教会があり、トロリーバスが走り廻っている
 駅前のビルもそれなりに多いし、久し振りに都会に来た気分となる。
 駅前には携帯電話会社のメガフォンの看板を掲げる店が有ったが、別に無理してネットに繋げなくても良いかという気分になっていたので、今回はそのまま寄らずに素通りする。 
 駅前をブラブラしていたら中国人のツアーの団体が旗を持った添乗員に率いられてホームの方に向かっていく。
 ここから乗車するのかと思っていたら、ロシア号の後部に食堂車を含む4両が増結されそちらの方に乗り込んでいった。

 先頭の機関車に行ってみると、機関車のが昨夜の298号機から135号機に変わっている。
 牽引機を交換した記憶は無かったし、交換するほどの長時間停車のところでは機関車をチェックに行っていたので、駅前をうろついている内にここで交換したのかもしれないが確信は持てない。
 【後ほど写真を整理していたら、この日の早朝停車したЧернышевск-Забайкальскийチェルヌイシェフスク-ザバイカルスキーの構内で機回しを行っているЭП1(EP1)が写っていたことからそちらで機関車交換をした模様】

 構内では各車両から汚物を回収するトラックが順次車両を廻ってタンクから抜き取り作業を行っている。
 また打音検査も実施されており、大都市であるばかりでなく鉄道の拠点となっていることが伺える。
 窓の方が大分汚れたのでここで拭きたかったのだが、部屋とは反対側がホームとなるため相変わらず汚いままとなっている。

 ЧИТА(チタ)駅を定刻に出発すると駅構内はかなり広いらしく、ホーム西側の鉄橋を渡った先も大量の貨車が停車する貨物ターミナルが続いている。
 ターミナルの一群を抜けると北側にケノン湖が広がるがそれを過ぎると山がちな地形になり、また線路が上り坂となっているようだ。
 駅を出てしばらくはエアコンが全開という感じで大分寒かったが、30分位したら切れたようでやっと過ごしやすい温度となってきた。
 相変わらず停車時は止まってしまうようで、走り続けるときは良いが駅出発直後の温度調節がしずらいシステムの様だ。

 後ほどGPSのログを確認した結果、この辺りがシベリア鉄道の最高地点のようで、標高が1000mを超えていた。
 

ЧИТА(チタ)駅構内

汚物回収中

ЧИТА(チタ)駅前

ЧИТА(チタ)駅駅舎

ЧИТА(チタ)駅駅舎

いつの間にか交代した牽引機

ЧИТА(チタ)駅駅舎

後部に増結作業中

ケノン湖

途中の平原

 ЧИТА(チタ)駅を出てから約2時間の11時過ぎ(現地時間17時過ぎ)沿線に廃車置き場が現れた、古いエリクトリーチカに混じってそれなりに新しそうなデザインの車輌が留置されているが、放置されてから大分時間が経っているような感じだ。
 その内SLなども現れたことから廃車体置き場で間違いなさそうだが、わざわざ遠くから持ってきたとは考えにくいので、ここら辺を走っていた車輌なのだと思われる。

 沿線を流れる川もいつの間にかヒロク川に名前を変え、だんだんと日が傾いてきている。
 12:05(現地時間18:05)頃6000kmのキロポストを通過。
 全線の1/3の区間の乗車が終わった計算となるが意外と長距離を乗った気がしない。

 本日最後の日中の停車駅、ХИЛОК(ヒロク)駅手前の区間はかなりの山岳区間となっており、急曲線の連続でなかなか速度が上がらない。

 
ХИЛОК(ヒロク)駅 モスクワ起点 5934km (営業キロ)
 
 本日日中最後の停車駅ХИЛОК(ヒロク)には5分早着の13:06(現地時間19:06)に到着。
 本来の停車時間は15分なので多少長めになるのは助かるが、余り大きな駅ではない様子だ。
 ちょっとだけ機関車を確認に行ったら7号車のそばで喫煙する程度で済ませておこう。
 自分の車輌に戻ると、欧米人の夫妻とちょっと雑談し、二人はニュージーランドから旅行できていて、この後モスクワ、サンクトヘテルスブルグ、フィンランド、ドイツ、イスラエル、インドに行くとのこと。
 随分スケールのでかい旅行が出来てうらやましいが、今晩停車するУЛАН УДЭ(ウランウデ)で下車するようだ。
 会話の中にちょっとだけ車掌さんも混じり、昼担当の車掌さんはの名前がナディアさんで有ることが判明。
 夫妻の奥さんが一緒に写真に入ってとお願いしていたが、写真はNGの様子。
 そのため私も無理して写真はお願いしないことにした。

 しかしニュージーランドの旦那は私がまだかなり若いと勘違してたようで、こちらをボーイと呼ぶが、そんな若くはないと否定しておく。

エレクトリーチカ廃車体

廃車されたSL

ヒロク川

6000kmキロポスト

沿線の牛

ХИЛОК(ヒロク)駅

食堂車車内

 ХИЛОК(ヒロク)出発後は適当なところで、食堂車に行くが先ほどのニュージーランド夫妻も先に来てやっているようだ。
 食堂車は意外とモダンな内装で、メニューの方も英語併記となっているので、何を注文していいか分からないということもない。
 
 ウェートレスは2名だが、英語が話せるのは昨日昼食を運んでくれたスタッフのようなので、そちらが対応してくれる。
 せっかくのシベリア鉄道の食堂車ということで、スープはボルシチをお願いしたが、いきなりHet(ニェット)で無いよとのこと。
 何なら有るのか聞いてみるとロシアの一般的なスープで有るサリャンカなら有るとのこと。
 ではそちらをお願いして、メインは豚肉のロースととした。
 付け合わせでライスが付くようなので、黒パンを付けるか聞かれたけど断った。
 
 さて初めてのサリャンカの方は、レモンが入ってちょっと酸っぱめだが、トマト味ベースでサラミソーセージやジャガイモ、オリーブとなかなか具だくさんであった。
 メインの方は豚肉が意外と小さいようなと思ったが、新鮮な野菜が不足気味だったので、スライストマトが特に美味く感じられた。
 ライスもバターライスとなっており、量も丁度良くなかなか満足感の高い夕食だった。
 食後は紅茶をいただき、会計を済ませると700ルーブル(約1300円程度)だったので思っていたほどは高くない。
 ただなぜか食堂車ではGPSの電波が入らないため、この区間のログは取れずじまいだった。 

サリャンカ

豚肉のロースト

Петровский Завод(ペトロフスキー・ザヴォート)

 食堂車から戻り、部屋でくつろいでいたらドアをノックされるが、さすがに3回目なので、アイスの車内販売で有ることはすぐに分かり、ここでドアを開けるとまた押し問答になるのは必至である。
 ここは、ガン無視を決め込み居留守を使う事にする。
 しかしながら相手もなかなかしつこいようで、いるのがばれいるのか5回ほどノックした後にやっとあきらめてくれた。
 しかしながらのこの商売熱心なのには感心するが、いつも夕方に売りに来るので時間帯が悪いように思う。
 現地時間の15時過ぎならつい私も買ってしまおうかと思うのだが、夕食の時間帯では買う方も少ないかもしれない。
 まあシフトの関係でそんなに都合良く行かないのかもしれないが・・・・。
 しばらくしたところで、こっそり通路の先を覗いて見ると車輌の先の方で熱心に売り込み中のようだ。
 見つかると面倒臭そうだから確認したらさっさと扉を閉めて気配を消してしばらく過ごす。

Петровский Завод
(ペトロフスキー・ザヴォート)
 モスクワ起点 5752km (営業キロ)



 途中短時間停車したПетровский Завод(ペトロフスキー・ザヴォート)でついに同室の人がやってきた。
 車掌さんに案内されてやってきたのは、ロシア人男性で結構大きな荷物を持っている。
 とりあえず英語は通じないようだが、挨拶がてらどこまで行くのか聞くと、クラスノヤルスクまでだそうで、1日後の明日の深夜に到着する。
 この方結構話し好きなようで、お互い言葉が通じない割に身振り手振りにメモ帳に絵を描きつつ、何とか意思疎通を図る。
 いろいろ試行錯誤して会話した結果、この方はイーゴリさんで鉱山で使用する掘削機のエンジニアとのこと。
 クラスノヤルスクでシンポジュームがあるため出張途中とのこと。
 年齢は50台前半で家族は奥さんと男の子が一人とのこと。
 私がモスクワまで列車出行くことを聞くと何で飛行機にしないのと不思議そうだったが、ウラジオストクからリスボンまで列車で移動する旅の一環だと何とか説明したら理解はしてもらえたようだ。
 途中食堂車のサービスを挟んでいろいろと会話したが、この方いろいろとグルメそうで、サービスの食事も途中で残してしまったので、
Het Вкусно?(ニェット フクースナ? 美味しくないの?)と聞いたら力なくうなずいていた。

 その後も紅茶を飲みながらいろいろと試行錯誤しながら会話を進めるが、ロシア人は寡黙だと聞いていたが、そんなことは全くなくこの人の話は止まらない。
 途中こちらが理解できない事が有るとメモ帳に絵を描いたりしながら、何とか相互理解を進めていく。

УЛАН УДЭ(ウランウデ)駅構内の熊のモニュメント

УЛАН УДЭ(ウランウデ) モスクワ起点 5609km (営業キロ)


 УЛАН УДЭ(ウランウデ)には定刻の17:56(現地時間22:56)に到着。
 直前にタイムゾーンが変わるため、モスクワとの時差は+5時間となる。
 大分寒くなっているので、ユニクロのウロトラライトダウンを着込み、車外に出る。
 この駅には熊のオブジェが有るそうなので、探してみると駅舎のホーム側に3頭の熊の象があるが、意外と小さくなんだこの程度かといった印象だ。
 停車時間は比較的長いため、構内の跨線橋に上がって構内を見ると貨物のターミナルとなっており広大なヤードが広がっていた。
 駅の外れには、緑色のSLが保存機として展示されているが寒いので近くまで行って写真を撮る気にならない。
 駅前にも出てみたが、夜遅いせいか人通りも少なく店の類も開いていないため閑散とした印象を受ける。
 停車時間が長いので、機関車交換をするのかもと思ったが、特に動きはなくそのままの機関車が牽引していくようだ。

 気温はかなり下がっているが温度を掲示する表示板も無いので正確な気温は分からない。
 大分体が冷えたので、適当なところで列車に戻る。
 夜担当の車掌さんも寒いのか、表には立っておらず車内からドアの辺りを監視しているようだ。
 車内に入り車掌さんにも戻ったと事を知らせて自室に戻る。

 УЛАН УДЭ(ウランウデ)出発後もイーゴリ氏と会話していたが、この方はちょっと耳が遠いらしく声が大きいので、隣でお休み中のナディア車掌からうるさいと壁をドンドンたたかれる。
 それに併せてそろそろ休もうかということになり、ベットメーキングして就寝することにした。
 明日の早朝はИРКУТСК(イルクーツク)に到着するがその手前にあるバイカル湖は夜間のため見ることはできない。
 朝早いがイルクーツクの構内だけは見て回ろうと早めに目覚ましを掛けて就寝する。
 

УЛАН УДЭ(ウランウデ)駅駅舎

УЛАН УДЭ(ウランウデ)駅停車中のロシア号

УЛАН УДЭ(ウランウデ)駅構内

УЛАН УДЭ(ウランウデ)駅構内の保存機関車