2015年 9月20日 シベリア鉄道乗車7日目 モスクワ到着 |
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移動区間 ベース図面出典 Wikitrave |
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最終日の朝食 |
本日の起床は5時前で車窓はまだ夜明が明けておらず暗い。 身支度を済ませたら、カロリーメイトと紅茶で朝食を取る。 食後は全ての荷物をバッグに入れると、後は到着まで徐々に明るくなりつつある沿線の風景を眺める。 5:30頃ナディア車掌が乗客にまもなく到着と知らせて廻る。 通路のドアは開けっ放しにしていたので、支度が済んでいる私の部屋を見ると、頷いて次の部屋に移って行った。 少しずつ沿線の風景が見えるようになると、キロポストも1桁台になっている。 到着前には配線が複雑になりキロポストが確認できたのは4kmの表示が最後だった。 МОСКВА(モスクワ) シベリア鉄道起点 0km 長躯9300kmの旅を終えるロシア号は終点のМОСКВА(モスクワ)にもったい付けるかのようにゆっくりと入線していく。 ホーム上にはお隣3号室のご婦人の家族が出迎えに来ているようで、花を持った女性が隣の窓の方を嬉しそうに見つめながら、ゆっくりとホームを進む列車に合わせて歩いてくる。 最後のブレーキで列車が停止すると、本当に終わったと思いながらデッキに向かう。 到着は6:01の定刻で、1番線に到着。 ホームに降りると、ドアの脇にはナディア車掌が立っているので、最後にお礼を言って別れの挨拶をする。 車掌さん達も往復2週間の勤務から解放されるので嬉しそうだ。 しばらくホーム上で余韻を楽しむが、意を決して出口の方に向かう。 ホーム上にはタクシーの客引きが多いが断りながら機関車の方に向かうと、最後の停車駅ВЛАДИМИР П(ウラジーミル P)で機関車を交換していたようで、ЧС7(ChS7)型機関車が先頭に立っていた。 隣のホームの先にはシベリア鉄道の起点を示す0kmキロポストが鎮座している。 約9300kmの乗車を終えて目にする0kmのキロポストには感慨深い物があるが、なぜか反対側に表示されているウラジオストク側の表示は9298kmとなっており、ウラジオストク駅の9288kmと10km合わない。 この誤差は、ウラジオストク駅の終点側に貨物線がまだ伸びているので、そちらが本当のシベリア鉄道の終点なのではないかと想像したが、本当のところは分からない。 無事到着したし、ここ1週間風呂なしだったことからホテルチェックインしてまずはシャワーを浴びるか。 駅の出口を出ると一端ヤロスラブリ駅の駅舎の写真を撮るため駅前の道路を地下道で横断して、反対側に出る。 駅舎の写真を撮ったら地下鉄駅を探すが、出入口は駅舎側のようで周りには見あたらない。 元来た地下道を戻り駅舎の前の辺りを探してみるがなかなか見つからないでいたら、タクシーの客引きに声を掛けられた。 乗るつもりはないのでそれなりに丁寧に断ると地下鉄の駅の方向を教えてくれたので、お礼を言ってそちらに向かう。 地下鉄コモソモーリスカヤ駅から5号線のノボォスロボーツカヤ駅に向かうため、カッサで5回券(180ルーブル)を購入して乗り場に向かう。 5回券は日本のICカードと同じくらいの大きさで紙製となっており、自動改札にかざすと、残りの使用回数が表示されるようになっている。 この時は初めての使用だが改札にかざした段階で1回使用したことになるので、表示されるのは残り4回分となる。 紙製で使い捨てのため、特に使用後回収するような感じでも無さそうである。 地下に続くエスカレーターに乗ると速度が多少日本より速いかもと言う程度で思ったほどは速くないが、駅がかなり深いようで下をのぞき込んでも降り場はかなり先のようだ。 ホームに降りてくると内装が豪華なことで有名なモスクワの地下鉄の評判どおり黄色い天井に大理石の柱、照明もシャンデリア風となっており、ちょっとした宮殿の様な雰囲気がある。 ホテルが有るのは2駅目のノボォスロボーツカヤ駅なので、大して乗らないうちに到着。 車内は日曜日の早朝と言うこともあり、ガラガラだ。 |
終点 モスクワ ヤロスラブリ駅のホームに降り立つ |
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奥の駅舎にはモスクワの看板。 |
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ロシア号が到着した1番線と案内板 |
モスクワ ヤロスラブリ駅に到着したロシア号。 最終ランナーはЧС7(ChS7)型 |
モスクワの看板と起点のキロポスト 距離は9298km?ウラジオストクは9288kmだったので10km合わない? |
0kmのキロポスト この線路の遙か彼方にウラジオストク |
終点 モスクワ ヤロスラブリ駅 |
モスクワ ヤロスラブリ駅前、正面はヒルトンホテル |
コモソモーリスカヤ駅エスカレーター |
コモソモーリスカヤ駅ホーム |
ノボォスロボーツカヤ駅 |
ノボォスロボーツカヤ駅の5号線 |
ノボォスロボーツカヤ駅地上出口 |
ノボォスロボーツカヤ駅は9号線のメンディエーレフスカヤ駅の乗換駅で、ホテル自体はメンディエーレフスカヤ駅の傍なのだが、連絡地下道はバリアフリーとは言いがたい感じなので、一度地上に出てから道路を歩いていくことにする。 ノボォスロボーツカヤ駅の地上出口はギリシャ建築のデザインとなっているが、大分劣化が進行しているようで、ボロボロのようだ。 道路を北側に進んでいくと本日の宿、ノボテル モスクワ センターまでは徒歩3分程度で着いた。 まだ朝が早いせいか歩道を歩いている人はほとんどいない。 ホテル到着は7時前で、最初に入った入り口はホテルではなかったようで、ホテルは隣だと教えて貰い、改めてホテルらはいる。 一応アーリーチェックインのリクエストをしていたが確約はされていない。 このまま部屋に入れるは分からないので、だめなときは荷物だけを預けるつもりでいたら対応してくれた男性スタッフから部屋は開いているのでOKを貰い、もくろみ通りチェックインさせてもらう。 部屋に入ったらすぐにシャワーを浴びるが、1週間ぶりと言うことで洗髪しても全く泡が立たないため結局3度洗いすることになる。 シャワー後は出かけるにはまだ早いので、GPSログの吸い出しと写真データのバックアップ、バッテリーの充電等を済ますことにしよう。 |
ホテルの部屋 |
ホテル外観 |
メンディエーレフスカヤ駅エスカレーター |
今日の予定ではこの後モスクワ中央軍事博物館に行くことにしていたが、開館は10時からなので9時過ぎに出発すれば十分である。 ホテル内は全館禁煙なので、適当なところで外に喫煙に行くが、部屋を出る時に部屋番号が書かれたカードキーの台紙は持って出た物の、肝心のカードを部屋に忘れてきた。 レセプションに行き事情を説明したらすぐにカードを再発行してくれたが、対応してくれた女性スタッフも終始にこやかで西側のチェーン店のホテルであるためかスタッフの教育も西側流みたいでちょっと拍子抜け。 ロシアだから少しぐらいガミガミ言われるかも思っていたけど杞憂だったようだ。 9時過ぎに用意を整えて観光のため出発することにする。 残金が心許なくなってきたので、ATMでキャッシングしたら5000ルーブル札が出てきた。 高額紙幣だと使いにくいので、少額の買い物などでは使いずらそうだ。 本日の予定は中央軍事博物館に鉄道博物館、旧KGB本部を見てから赤の広場に行く予定としていた。 クレムリン宮殿などの内部に入る施設については今回は最初から予定していない。 その理由は来年、モスクワからベルリンまでを列車を繋ぎ、計画の最終段階とするつもりでいるのと、その際は妻も同行する予定なので今回のモスクワ観光は私一人での方が都合が良い箇所を優先しているためである。 ホテルはメンディエーレフスカヤ駅と直結なので、まずはここらから9号線で1駅ツヴィエトノイ・ブリヴァールまで移動し、10号線に乗り換える。 中央軍事博物館自体はホテルから直線距離で2kmもないが、いろいろと地下鉄の構内を見てみたかったので、地下鉄での移動しした。 メンディエーレフスカヤ駅ホーム自体は特に豪華な内装という感じではないが、照明は少し凝った物が使用されていた。 ツヴィエトノイ・ブリヴァール駅は特筆するような感じので駅ではなく、10号線に乗り換えて1駅のドフトエフスカヤ駅で下車する。 こちらは駅名になっている様にドフトエフスキーをモチーフにしているようで、構内にはそれらをモチーフとした装飾が施されている。 |
メンディエーレフスカヤ駅駅ホーム |
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ドフトエフスカヤ駅 |
ドフトエフスカヤ駅 |
ドフトエフスカヤ駅 |
ドフトエフスカヤ駅 |
ドフトエフスカヤ駅で下車し、地上に出るが方向感覚が狂って博物館の方向に確信が持てない。 スマホのGPSで位置を確認したら、中央軍事博物館に移動するが、かなり近くて5分も掛からずに到着した。 まだ時間は10時前のため、博物館の正面でしばし待機する。 正面にはT-34/85戦車が展示されているのでしばらくその辺りを見学していると10時になったようだ。 入り口で切符を購入する際にカメラを示して撮影用のチケットが別にいるのか確認したところ、現在は不要なようだ。 ロシアの博物館では写真を撮るのに入場料並の撮影用チケットが別途必要と聞いていたが、いつの間にか不要となったようである。 切符売り場脇の入り口から入り、金属探知機のゲートを抜けると正面玄関の前にはレーニンの像が鎮座している。 雰囲気としてはソ連時代にタイムスリップしたような錯覚をうける。 館内の展示内容はロシア語オンリーで全く分からないが、ロシア赤軍ウラー!!(万歳!!)な内容であることは嫌なくらい伝わってくる。 ロシアだけかと思われた展示も敗戦側として日本とドイツの資料が展示されていた。 敵国民としては複雑な心境だが、筆舌しがたい体験をさせられた当時の日本人の事を思うと無邪気には見ていられない。 |
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日本の勲章 |
日本軍装備の展示 |
戦意高揚?の宣伝ポスター |
ジオラマ風の展示。スターリングラード攻防戦かな? |
赤旗満載 |
ナチスの紋章の入った像 |
ホール全景 |
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領空侵犯で撃墜されたアメリカU-2偵察機の残骸 |
U-2を撃墜したSA-2ガイドライン |
裏庭の航空機展示 |
館内の展示の見学が終わると裏庭の屋外展示場に向かう。 ここの博物館に来たのはこちらが本命であり、ここに展示されているKV-2重戦車を見学するのが真の目的である。 屋外に出ると航空機や戦車などが展示されておりブラブラ見て回ると目当てのKV-2重戦車を発見。 隣には元となったKV-1重戦車も展示されているが、ばかでかい砲塔のためか1周り以上大きく見える。 戦車の展示は意外と詰まった間隔で並べられており、手前のフェンスも有ることからなかなか綺麗に写真に納めるのが難しい。 その他にはT-26,T-28,BT-7など大戦初期のソ連軍の主力戦車などを見学したら、さらに奥にある航空機の展示場に向かう。 こちらは比較的新しい機材が集められ、私の目的である現役機のSu-27フランカーにMig-29ファルクラムを中心に見学する。 ただ配置が悪いため、Mig-25、Su-24、Su-25など結構好きな機体があるのだが、後ろの方に隠れるように置かれているため全体像は見ることが出来ない。 |
KV-2重戦車 |
KV-2重戦車 |
KV-2重戦車 第2次大戦時フィンランドを侵攻したソ連軍が強固な防衛陣地を突破できず、KV-1戦車をベースに急遽開発を行い1940年より投入した陣地突破用の重戦車。 車体はKV-1を流用し、152mm榴弾砲を搭載するため大型の旋回砲塔を搭載して完成。 全面装甲110mm、側面75mmと当時の枢軸国側の装備である37mm、50mm対戦車砲では全く歯が立たず砲撃に対してドアノッカーと揶揄していた。 当時とてつもない防御力と攻撃力を誇ったこの戦車の最大の弱点は、とてつもなく重いため全く機動性が無いこと。 重すぎて道路を外れると軟弱な地盤では自重で地面にめり込んでしまうとか、地面が傾斜していると砲塔が重すぎて回転させられないなどの逸話を持つ。 もともと機動性の劣悪だったKV-1にさらに重い砲塔を乗せたのだから当然の帰結で有ろう。 砲弾も大きすぎることから砲弾と装薬が別々となる分離薬莢方式のため、通常なら1名の装填手が本戦車では2名必要となる。 ソ連軍はこの戦車を他の戦車と混用して運用していたため進撃の時にはついて行けず、ドイツ軍の機動力を生かした電撃戦では後退できず取り残されてしまい各個撃破されていた模様である。 そのため早々に生産は打ち切られ、数でゴリ押しが基本のソ連の戦車にしては比較的少数しか生産されていない。 ただし、機動力を生かした戦闘は不向きながら、拠点防衛の様な使い方では無類の強さを発揮し、街道上にたった1台のKV-2が居座った事により、ドイツ軍の進撃が数日ストップすることもあった。 特にこのときはドイツ軍の戦車、対戦車砲は全く歯が立たず、軽戦車を囮にしている間に配置した対空用の88mm高射砲を水平射撃して本戦車を撃破している。 このときの88mm砲の命中弾は6発ながら、貫通は2発のみ。 しかも撃破したと思って近づくと乗員は生存しており砲塔が回り出して戦闘継続の意志を見せていたため被弾孔から手榴弾を投げ込まれやっと沈黙したほどのタフさを持つ。 |
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KV-1重戦車 |
T-26軽戦車 |
BT-7軽戦車 |
T-28多砲塔中戦車 |
Mig-29 |
Su-27 |
MiG-25 |
T-10重戦車 |
Su-15 |
Su-24 |
Su-25 |
装甲機関車 |
潜水艦クルスク沈没事故のモニュメント |
屋外展示の見学を終えるとそろそろ時間はお昼近くとなっていた。 この博物館は食堂を併設しているので、そちらに行ってみると大戦中の前線における食堂を模した内装となっている。 ウェイターも兵士の格好をしているしテーブルクロスは当時の戦況図などなかなか細部まで凝っている。 メニューの方は英語が併記されているので、注文には支障がない。 セットメニューが有るようなので、士官セット(Officer set)を頼んでみる。 他には兵士セット(Soldier Set)などがあるようだ。 ウェイターが最初に持ってきたのは、飯盒に入れられたスープに黒パンとピロシキで、スープのほうは豚肉とニンジン、ジャガイモが入っていた。 味の方は普通のスープなのだが、飯盒に入っているため非常に食べずらい。 これで全部にしては高いなと思っていたら、メインは別でポークリブの煮込みとタマネギの炒め物が後からやってきた。 ポークリブはちょっと柔らかすぎのようなと思ったが味はなかなかであった。 食後に紅茶をいただき、満足したことから博物館を後にしよう。 博物館を出て駅に向かうと脇には潜水艦のモニュメントがある。 台座の文章のなかで括弧書きでクルスクとあったことから、事故で沈没した潜水艦クルスクの慰霊碑のようだ。 |
エスカレーターの監視室 |
シェルター使用時の隔壁収納部 |
10号線車内 |
ドフトエフスカヤ駅に戻り、ホームに降りるとエスカレーターを見ていると一番下に係員が常駐するブースがあり、非常に長いエスカレーターで転倒者などがでないよう安全確認を行っているようだ。 ここの駅も冷戦期の建設のようで、ホーム端にはシェルターとして使用する時の隔壁が配置されていた。 地下鉄10月線で2駅のスリーチェンスキー・ブリバールまで行き、6号線に乗り換える。 6号線の駅はツルゲーネフスカヤとなっており、乗換駅だが地下道で結ばれているものの、若干離れているようだ。 6号線に乗り換え3駅目のリーシスカヤ駅で降りれば、ロシア鉄道のリーガ駅前に出る。 リーシスカヤ駅とリーガ駅は大きな道路を挟んで離れており、かなり長い地下道をくぐってリーガ駅に到着。 目的地の鉄道博物館はこの駅に隣接しており、近郊線のリージェスキー・バクザール駅に挟まれたところにある。 博物館の位置は事前にグーグルマップの衛星写真を見ていたので問題なく到着。 カッサで入場券は買い求めるが、ここは写真撮影に別のチケツトが必要となる。 小額紙幣がないので、5000ルーブル札を出すと、窓口のオバハンが何か怒っている。 小さい札は無いのかと言っているみたいなので、それしかない、入場券と写真用の券1枚で押し通す。 大分ぶつくさ文句を言いつつ、札をかき集めてお釣りと入場券を出してくれた。 入り口を入ると早速SLと高速鉄道車輌のソコル(鷹という意味)が見えてくる。 ロシアのSLは全く情報がないので余り興味は無く、こちらはソコルの方を見学に行く。 この車輌はロシア最初の高速鉄道車輌ER200の後継機として開発を進めていたが、2002年に計画が中止となってしまっている。 現在はドイツのIC3をベースとしたサプサン(ハヤブサ)が運行されており、ロシア独自技術の高速鉄道は現在のところ運行されていない。 外観については2000年代の開発車輌なのでそこそこ近代的である。 側面にロシア車輌で良く用いられるリブが配置されていないので、西側の車輌と言われても遜色ないように思われる。 ただ考えにくいのだが、バンタグラフの付近には、日本の新幹線の様な騒音対策用と思われる異常に大きなカバーが配置されている。 人口が希薄なロシアで騒音対策とは考えにくいが、他に理由が思いつかない。 ソコルに続く電気機関車を見に行くと、こちらも台車が妙だと思ったらD-D台車の8軸機関車だった。 ウラジオストクでも見かけた8軸のディーゼル機関車のこともあるし、ロシアは8軸機が好きなのだろうか? 分からないなりに説明を見ていると、どうやら試作機のようである。 交流区間用の旅客機関車で最高速度は250km/hで出力は8000kWとかなりの高出力のようだ。 軸重も21.5tになるので、あの軸配置と台車の構造で200km/h以上の速度を出したら軌道破壊がものすごいことになりそうな予感がする。 台車の構造がどうなっているかしばし観察すると、4軸ボギーとなっているが、実際には2軸ボギーが2つくっついたような構造をしていることから、実際の構造はB-B-B-Bの軸配置かもしれない。 さらに奥に進むと今度は古いエレクトリーチカが展示されていたが、どこで走っていた物かはよく分からない。 正面が3枚窓の電車は何となく造形から、ロシア版103系の様な印象を受ける。 この辺りの列車はソ連時代に博物館入りしたためだろうが、正面に赤い星が掲げられているのが印象的である。 その奥にはここでの私の目的である(ЭР200)ER200がやっと見えてきた。 こちらはソ連時代に日本の0系新幹線に触発されて開発されたロシア初の高速鉄道車輌でモスクワとサンクトペテルスブルグを結んでいた。 ただし、運転されるのは週1回のみで、その理由は技術的理由とのことであり、技術的理由の細かい内容については不明だが、耐久性に問題があったのではないかと推測する。 しかし週1回の運転では利用しずらいことこの上なく、何となく不完全な物を意地で走らせていたような気がする。 カラーリング、先頭の造形は0系を意識していることが伺えるが、側面のリブがソ連製らしさを物語っている。 後は屋根上に抵抗器がズラリと並べられているが、こんな突起物を屋根に並べて空力音で運転中は五月蠅くかったのか多少疑問が残るものの、他で見かけた現役のエレクトリーチカも屋根上に抵抗器が並んでいるので、これがロシア流なのであろう。 |
ソコル(VSM250系) |
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8軸電気機関車 ЭП200(EP200) |
ЭП200(EP200)台車部分 |
ЭР200(ER200) |
ЭР200(ER200) |
ЭР200(ER200) 意味深な中央の0Kの表記 |
ЭР200(ER200) |
目的の車輌も見られたので、後は構内に展示されている車輌をゆっくりと見て回りまわりながら過ごす。 この博物館はSLから結構新しめの電車まで網羅されているので、それなりに車輌が多い。 もっとも多いのは印象としてDL,次がSLとELであろうか。 ロシアのSLは正直余り興味がなかったので、真剣に見るほどではないが、全体の印象としてかなり腰高なプロポーションをしている。 これまで余り観察していなかったことから、よく見てみると動輪とボイラーの間のスペースが異常に広く、スカスカである。 日本のSLなどはここが詰まっており、反対側が見えるようなことはないのだが、ロシアのSLはここが開いているので間延びした印象をうける。 多少観察して原因を探ってみると、牽引力重視と思われるため動輪数が多く、また動輪のサイズも小さい。 またボイラー後端の石炭を燃焼させる火室が巨大でそれが動輪の上に乗っているためボイラーの位置が高くなってしまっているようだ。 火室が大きいのは恐らくロシアの冬の低温に対応するためではないかと思われる。 極寒の地でお湯を沸かすわけだから火力が必要になるのだと推測した。 しかしここまで火室が巨大だと石炭を投入する機関助手の苦労は並大抵では無さそう。 構内を歩いていると、日曜日のためか家族連れが多いのは当然だが、意外なことにデート中と思われる若者のカップルが多い。 特に気になったのは列車の説明板の前で男の子が女の子に熱弁を奮いつつ、女の子も結構真剣な表情でそれを聞いていることだった。 日本では女の子が説明を受けても真剣に聞くというのは余り想像できないので、どのような説明をしていたのかは気になるところだが、内容については分かる由もない。 鉄道博物館の見学を終えると歩き回ったのか大分足が痛くなってきている。 隣接している駅から近郊電車がそれなりに発車しているようなので、エレクトリーチカに乗ってみたかったということもあり、適当なところまで往復してみることにしよう。 13:23の列車が有ることから行き先を確認し、適当と思われる駅名をメモしてカッサで切符を購入する。 列車に乗り込むとかなり乗客が少ない。 座席は3人掛けのボックスシートが両側に並ぶロシアの典型的な車輌のようだ。 切符を買ったアニケエフカまでは30km程度の距離で、片道40分程度と想像する。 列車は定刻で発車し、モスクワ市内を西側に走っていく。 近郊列車なのでこまめに駅に停車していくが、始発駅ではガラガラだったものの進むにつれて乗客が増え、おおよそ8割の座席が埋まるほどになる。 沿線にはテレビ塔のオスタンキノ・タワーが見える。 途中渡った鉄橋の傍には水位調整の水門があったりとそれなりにおもしろそうな施設が途中には有るようだ。 その内車掌の検札があり、私のキップを見るとなにやら言っている。 無賃乗車などでとがめられる感じではなく、何を言っているか分からないでいたが、乗車時に時刻表に書かれていた注意書きに目的とする駅名が書かれていたので、通過するのではないかと想像して一駅手前で降りることにした。 急遽手前で降りた駅はオパリハ駅で、相対式ホームが千鳥配置となった小さな駅であった。 駅は小さいがそれなりに乗降客はおり、駅前には商店が並んでいた。 さて適当なところで戻る事にするが、時刻表を見ていると10分から15分間隔程度列車があるようだ。 ただ行き先がいろいろあり、私が乗った駅に戻る列車は2本後のようだ。 カッサに向かい窓口で口頭でキップを求めるが、係のおばさんには伝わらない。 向こうも困った感じなので、言い方を変えていろいろと言ってみるが通じないようだ。 一度引き上げて、時刻表から行き先をメモに書いて見せたらやつと通じたようで、キップを手に入れる。 14:41の列車で元来たリージェスキー・バクザール駅に戻るが帰りの電車はかなりガラガラだった。 行きに乗った車輌は無動力の付随車だったので、帰りは吊り掛けの音を聞くべく、パンタ付きの動力車に席を確保する。 行きに見かけた高速鉄道のサプサン(ハヤブサ)をカメラに納めたりしながら列車に揺られ、無事リージェスキー・バクザール駅に15:30頃到着。 列車を降りながら車輌をチェックしているとこの路線の車輌は10両編成で、パンタ付きの動力車が6両なので、MT比は6:4のようだ。 動力車は1M方式かと思われるが、コンプレッサーの音は付随車となるT車からしか聞こえてこなかったので補機類の一部はT車に搭載していると思われる。 車輌の種類は運転台付き付随車(Tc)、パンタ付きモーター車(M)、中間付随車(T)の3種類の車輌で構成されてる。 全面の造形や1M方式に近い吊り掛け車で、ドアは車端部にデッキ付きで配置されたボックスシートなどから、日本の湘南型電車80系と同じ構成の様に思えてくる。 地下鉄のリーシスカヤ駅に移動し地下鉄6号線でツルゲーネフスカヤで1号線に乗り換える。 この駅は行きに乗り換えたスリーチェンスキー・ブリバール駅と同じ駅でだが1号線はチーストィエ・ブルドゥイ駅となるのでそちらに移動する。 ここから1駅で目的地のルビャンカに到着。 地上に出るルビャンカ広場となり、その一角にはソ連時代に恐怖の対象だったチェキストの総本山、旧KGB本部の建物が見える。 冷戦時は国内の治安維持のための秘密警察、海外では諜報活動とCIA、MI6、モサドと並ぶスパイの大御所だが、ソ連崩壊時に解散している。 現大統領のプーチンもKGBが出身母体である事は有名な話。 現在はロシア連邦保安庁ということだが、相変わらず危険な臭いのする組織であることは間違いなさそうだ。 結構観光客が多く、みんな建物の写真を撮っていることから現在は有名観光地となっているのだろう。 ロシアの小話ではここの地下牢がモスクワでは一番見晴らしの良い場所とされ、遠くシベリアまで見渡せると言われていた。 |
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腰高なSL |
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巨大な火室とボイラー〜動輪の間のスペース |
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博物館の入り口(左奥)と近郊電車の駅(リージェスキー・バクザール駅) |
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オスタンキノ・タワー |
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オパリハ駅構内 |
オパリハ駅駅舎 |
オパリハ駅に到着したエレクトリーチカ |
サプサン |
エレクトリーチカの車内 座席はプラスチック |
ルビャンカ広場旧KGB本部(現ロシア連邦保安庁) |
赤の広場 |
ルビャンカ広場を後にすると本日の最後の観光予定の赤の広場に向かう。 ルビャンカからは歩いて10分ほどなので、賑やかな歩行者天国をのんびりと歩いていく。 大道芸人などがちらほらおり、中にはプーチン大統領のそっくりさんもいて観光客と一緒に写真を撮っていた。 北側から広場に入ると、恐ろしく広場内の人口密度が高いと思ったらクレムリン側の2/3は何かのイベントのため柵で仕切られ中に入れないようになっていた。 おかけでレーニン廟の前も資材が積み上げられておりまともな写真が撮れないような状況だった。 広場を南に下り聖ワシリー寺院の周りを見るが、人が多くて余りよい写真は取れない。 今日は日曜日の午後と言うこともあり特に人出が多いのかもしれない。 明日の朝の早い時間なら人が少なそうだと言うことで、改めて明日また来てみることにしよう。 その後は隣接しているグム百貨店を除いてみるが、高級ブランドばかりで私が買うような物は無さそうだ。 店内のあちこちにアイス売りのワゴンが出ているが、どこももの凄い行列でロシア人のアイス好きを改めて実感する。 グム百貨店の南側の土産物屋で妻用に白樺細工の小箱を購入し、そろそろホテルに引き上げることにする。 地下鉄のルビャンカ駅まで歩行者天国を歩いて戻り、1号線でポロヴィツカヤに出て、9号線に乗り換える。 9号線に乗ればホテルのあるメンディエーレフスカヤ駅まで1本と思っていたが、方向を間違え反対行きに乗ってしまったようだ。 1駅目で気がついたので、ポリャンカ駅で反対方向の列車に乗り換える。 |
グム百貨店 |
国立歴史博物館 |
レーニン廟 |
レーニン廟周囲 |
聖ワシリー寺院 |
聖ワシリー寺院 |
クレムリン |
グム百貨店内部 |
ホテルにたどり着く頃には大分日が暮れてきていた。 夕食についてはどうしようかと思っていたが、ホテルに来るときに降りたノボォスロボーツカヤ駅の出口脇にショッピングセンターがありスーパーとマックが合ったことから、お手軽にマックで済ますことにしよう。 マックで簡単な夕食を済ませたら、スーパーでお土産用のチョコレートを購入する。 ここでもイクラ味のボテトチップスを探してみたが見つからなかった。 売っていればお土産にしようと思っていたが、残念。 ホテルに戻ると歩き回ったせいか足が痛い。 幸いこのホテルの浴室にはバスタブがあるので、お湯を張って入浴することでほぐす事にしよう。 ただお湯を張ると水が微妙に茶色いような気がする。 別に飲むわけではないから大丈夫だろう。 入浴後はデータ整理等をしてのんびり過ごすが、時差ボケは解消しているわけではないので早めに眠くなってくる。 結構疲れたので早めに休むが、広いベッドで寝るのは久し振りだ。 |
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モスクワ市内移動経路 |
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